できごと

ストーンヘンジの完成

Stonehenge
紀元前25世紀
年に諸説あり重要度 3
ストーンヘンジの完成に関わる図版:Stonehenge2007 07 30
Stonehenge2007 07 30 Wikimedia Commons garethwiscombe · CC BY 2.0

概要

数十トンの石を200km以上運んできた。文字を持たない社会が、それだけの労働を組織できた。

場所

ストーンヘンジ
51.18°N -1.83°E · イギリス・イングランド

本文

イングランド南部、ソールズベリー平原のなだらかな草地に、巨大な石が輪になって立っている。高さ7メートルほどの立石の上に横石を渡した門のような組が、馬蹄形に並び、そのまわりを、横石でつながった石の輪が囲む。ストーンヘンジである。いま見えるのは崩れた姿だが、完成したときには、内側の石組みを外側の輪が完全に取り巻いていた。

この記念物は、一度に作られたものではない。最初は紀元前3000年ごろ、直径100メートルほどの円形に溝を掘り、土手を築いたものだった。アルプスの氷河でアイスマンの死が死んでから、300年ほど後のことである。その内側には56の穴が掘られ、火葬された人の骨が納められた。その後500年ほど、ここは主に墓地として使われたと考えられている。

夕刻のストーンヘンジ
夕刻のストーンヘンジWikimedia Commons by simonwakefield · CC BY 2.0

いまの姿の中心になる巨石が立てられたのは、紀元前2500年ごろである。外側の大きな石は、サーセン石と呼ばれる硬い砂岩で、一つが20トンを超えるものもある。2020年の研究で、その多くが25キロほど北のウェスト・ウッズという場所から運ばれたことが分かった。石は表面を打ち削って形を整え、上に載せる横石とは、木工で使う「ほぞ」と「ほぞ穴」の仕組みで組み合わせてある。

内側の小さな石は、ブルーストーンと呼ばれ、一つ2トンから5トンほどある。こちらは、250キロ近く離れたウェールズ西部のプレセリの丘から運ばれた。岩の成分を調べて、石を切り出した岩場まで特定されている。中央に横たわる「祭壇石」はさらに遠く、2024年の研究で、700キロ以上離れたスコットランド北東部の岩と一致すると報告された。

ストーンヘンジ(近景)
ストーンヘンジ(近景)Wikimedia Commons Public domain

どうやって運んだのかは、分かっていない。丸太のころや木のそりに載せて大勢で引いた、川や海の舟で運んだ、などの説がある。実験では、数十人で数トンの石をそりで引けることが確かめられている。ウェールズでは、ストーンヘンジより前に立てられていた石の輪をいったん解体して運んだのではないか、という説も出されたが、異論も多い。いずれにせよ、車輪も金属の道具も持たない人びとが、何世代にもわたって石を運び、立て続けた。

石の配置には、はっきりした向きがある。馬蹄形の開いた方向と、そこから延びる参道の軸は、夏至の日の出の方向と、反対側の冬至の日の入りの方向に合っている。いまも夏至の朝には、日の出を見ようと数万人が集まる。

ルーカス・デ・ヘーレによるストーンヘンジの水彩画(1574年)
ルーカス・デ・ヘーレによるストーンヘンジの水彩画(1574年)Wikimedia Commons Lucas de Heere · Public domain

近くのダリントン・ウォールズという場所では、ストーンヘンジの巨石が立てられたころの大きな集落の跡が見つかっている。数百の家があったとみられ、石を立てた人びとが暮らした場所だと考える研究者もいる。出てきた大量の豚の骨を調べると、多くが冬に殺されていた。冬至のころ、各地から人が集まって盛大な宴を開いていたらしい。豚の骨の成分からは、遠くスコットランドの近くから連れてこられた豚もいたことが分かっている。

では、何のための場所だったのか。死者を葬り、祖先をまつる場所。太陽の運行で季節を知る場所。病を癒やす力を求めて人が集まった場所。さまざまな説があるが、どれか一つに決めることはできない。時代によって役割が変わった可能性も高い。

サーセン石に刻まれた短剣と斧の古代の線刻
サーセン石に刻まれた短剣と斧の古代の線刻Wikimedia Commons User:Ranger Steve · Public domain

紀元前2400年ごろから、大陸から「ビーカー」と呼ばれる鐘形の土器を持つ人びとがブリテン島に渡ってきた。古い人骨の遺伝子を調べると、数百年のうちに島の住民の大部分が入れ替わったことが分かっている。ストーンヘンジの近くには、このころアルプスのあたりで育った男が、金の飾りや銅のナイフとともに葬られていた。新しく来た人びとも、石の配置を組み替えながら、この場所を使い続けた。最後の手が加えられたのは、紀元前1500年ごろとされる。

同じころ、エジプトではギザのピラミッドが建てられていた(ギザの大ピラミッド建設)。あちらには王と文字と役人の組織があった。ストーンヘンジを築いた人びとは文字を残しておらず、王がいたのかどうかも分からない。それでも、遠くの石を運び、何百人もの力を一つの目的のために何世代も束ねることができた。

現在の中央の石組みの平面図(ジョンソン2008年による)
現在の中央の石組みの平面図(ジョンソン2008年による)Wikimedia Commons Anthony Johnson · CC BY 3.0

中世には、魔術師マーリンがアイルランドから石を運んだという伝説が語られた。17世紀から18世紀の好古家たちは、古代ケルトのドルイドの神殿だと考えた。だが、ドルイドが記録に現れるのは紀元前後、ローマがブリテン島に手を伸ばしたころのことで(クラウディウスのブリタニア征服)、ストーンヘンジはそれより2000年以上古い。1986年に、近くのエイヴベリーの遺跡とともに世界遺産に登録された。

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