ローマのコンクリート
概要
石灰と、ナポリ近郊ポッツオーリの火山灰と、石の塊を混ぜる。水と反応して固まる。木の型枠に流し込めるので、石を積むのでは作れない曲面が作れた。パンテオンの直径43メートルの丸屋根は、上へいくほど軽い骨材を使い、いまも無筋で立っている。海水中では、灰の成分が海水と反応して結晶が育ち、時とともに強くなる。この配合は中世に失われ、十九世紀に別の原理のセメントが現れるまで、これを超えるものは無かった。
場所
41.89°N 12.49°E · イタリア・ラツィオ州
本文
ローマ人のコンクリートは、焼いた石灰と火山灰、そして割った石や砕いた煉瓦、瓦のかけらを、水で練り混ぜて作った。火山灰の中で最も良いとされたのが、ナポリ湾に面した港町プテオリ、いまのポッツオーリで採れる灰である。この灰は「ポッツォラーナ」と呼ばれ、いまでもコンクリートに混ぜる火山灰質の材料をこの名で呼ぶ。
紀元前1世紀の建築家ウィトルウィウスは、その配合を書き残している。掘り出した砂なら石灰1に砂3、川や海の砂なら石灰1に砂2。そしてポッツオーリの灰については、石灰と石に混ぜると建物を驚くほど強くし、海の中でさえ水の下で固まる、という趣旨のことを記している。ただし、なぜ固まるのかについては、土の中にこもった火と熱と蒸気のせいだと説明しており、これは正しくなかった。

いまでは、仕組みが分かっている。火山灰には、結晶になっていないケイ素やアルミニウムの成分が多く含まれる。それが水の中で消石灰と反応し、ケイ酸カルシウムの水和物という、細かな針のような物質を作って絡み合い、固まる。これは「ポゾラン反応」と呼ばれ、現代のセメントが固まる原理と本質的に同じである。ローマ人は理屈を知らないまま、経験から正しい材料を選んでいた。
コンクリートは、ローマの建築を変えた。石は積むしかなく、積んで作れる形には限りがある。アーチや、それを延ばした筒形の天井までがせいぜいである。コンクリートは流し込める。木で型枠さえ組めば、どんな曲面も作れた。そのうえ、石を正確に切って積むような高い技能もいらない。混ぜて、運んで、型に詰める。その作業なら、兵士や奴隷、大勢の労働者に任せられる。ローマの公共建築が帝国の隅々まで広がったのは、この材料の力が大きかった。水道(ローマの水道)の水路や橋、円形闘技場(コロッセウムの完成)、浴場や港の防波堤にも、コンクリートが使われた。

その頂点が、125年ごろにハドリアヌス帝のもとで建てられたローマのパンテオンである(ハドリアヌスのパンテオン)。丸屋根の内側の直径は43.3メートル、床から屋根のてっぺんまでの高さも43.3メートルで、建物の内側にちょうど直径43.3メートルの球が収まる形になっている。鉄の補強をいっさい入れないコンクリートの丸屋根としては、いまも世界最大で、1900年近く立ち続けている。
この丸屋根には、重さを抑える工夫がいくつも重ねられている。まず厚さを変えた。下のほうは6メートルを超えるが、上へ行くにつれて薄くなり、てっぺん近くでは1メートル余りしかない。混ぜる骨材も変えた。下には重いトラバーチンや凝灰岩を、上へ行くほど軽い石を使い、最も上には軽石を混ぜている。天井の内側には四角い窪みを段々に彫り込み、重さを減らしながら美しい模様にした。そして、てっぺんには直径9メートル近い丸い穴が開いている。力が最も集まりやすい部分を、そもそも作らなかったのである。この穴は建物で唯一の明かり取りでもあり、雨の日には雨がそのまま降り込むので、床には水を抜く穴が開けてある。

ローマのコンクリートのもう一つの驚くべき性質は、海の中で長持ちすることである。ヘロデ王が築いた港カエサレアや、ナポリ湾の保養地バイアエなど、地中海の各地に残るローマのコンクリートの防波堤は、2000年近く海の波を受けて立っている。一方、現代のコンクリートは海の中では傷みやすい。塩分が中の鉄筋を錆びさせ、海水の成分がセメントを侵して、数十年で傷んでいく。
2017年、アメリカのユタ大学の地質学者マリー・ジャクソンらは、古代の防波堤のかけらを詳しく調べ、その中で海水と火山灰が反応して、トバモライトやフィリップサイトという鉱物の結晶が育っていることを見つけた。結晶が隙間を埋め、時とともにかえって強くなっているらしい。現代のコンクリートが年月とともに弱っていくのとは、逆である。

2023年には、マサチューセッツ工科大学などの研究者が別の仕組みを指摘した。古代のコンクリートには白い石灰の小さな塊が点々と混じっている。これは長いあいだ、混ぜ方が雑だった跡だと考えられてきた。だが研究者たちは、これが自分で傷を直す仕組みだと論じた。ひびが入って水が染み込むと、石灰の塊が溶け出し、炭酸カルシウムとなってひびを埋める。その鍵は、消石灰ではなく生石灰をじかに混ぜて熱を出しながら練る方法にあったのではないか、というのである。ただし、この説はまだ議論の途中にあり、確かめられたとまでは言えない。
この技は、西ローマ帝国の崩壊とともに失われていった。巨大な公共の工事が無くなり、配合や施工の順序といった、書物だけでは伝わらない現場の技が途絶えた。良い火山灰を遠くまで運ぶ流通の網も切れた。中世のヨーロッパは、再び石を積む建築に戻る。ローマの建物そのものが石切り場にされ、崩れた闘技場や神殿から石が切り出されて、新しい教会や館に使われた。コロッセウムの石は、サン・ピエトロ大聖堂の建て替え(サン・ピエトロ大聖堂の建て替え)にも運ばれたと言われる。
水の中で固まる材料が再び研究されるのは、18世紀のことである。イギリスの技師ジョン・スミートンは、波の荒い沖の岩の上に灯台を建てるため(沖の岩に立つ灯台)、水の中で固まる石灰を調べ、原料の石灰石に含まれる粘土の量が鍵であることを突き止めた。ローマ人の知らなかったことである。その研究の先に、19世紀のポルトランドセメントが生まれ、さらに鉄を組み合わせた鉄筋コンクリートが20世紀の都市を造っていく。
だが、その鉄筋コンクリートは、いずれ中の鉄が錆びて寿命を迎える。鉄を入れなかったローマのコンクリートは、パンテオンの丸屋根の上で、いまも静かに立っている。いま、二酸化炭素を多く出すセメントの使い方を見直し、長く持つ材料を探す研究者たちが、2000年前の配合に改めて目を向けているのはそのためである。