馬の家畜化
概要
大型の草食獣148種のうち家畜になったのは14種で、馬はその中で最も戦争と交通を変えた。シマウマはならなかった。
場所
53.50°N 67.60°E · カザフスタン・北カザフスタン州
本文
カザフスタン北部の草原に、ボタイという遺跡がある。約5500年前の村の跡から、30万点を超える動物の骨が出た。そのほとんどが馬だった。歯には轡(くつわ)がこすれたとみられる跡があり、土器の内側には馬の乳の脂が残っていた。馬に乗り、乳を搾っていたことになる、と2009年の研究は論じた。
長く、ここが馬の家畜化の始まりとされてきた。ところが2018年、ボタイの馬の骨から遺伝情報が読まれると、意外なことが分かった。ボタイの馬は、いまの家畜の馬の祖先ではなかった。それは、野生の馬の最後の生き残りとされてきたモウコノウマ(プルツェワルスキー馬)の祖先だった。モウコノウマは、じつは一度家畜になった馬が野に戻った子孫だったことになる。

では、いまの馬はどこから来たのか。2021年、ユーラシア各地の古い馬の骨270頭あまりの遺伝情報を比べた研究が答えを出した。いま世界にいる家畜の馬は、すべて約4200年前、黒海の北、ヴォルガ川とドン川の下流の草原で飼われはじめた一つの系統にさかのぼる。この系統は、そこから数百年のうちにユーラシアの西から東まで広がり、各地にいた別の馬を置き換えた。
この系統には、背中を丈夫にする遺伝子と、おとなしさに関わる遺伝子に、強い選択の跡があった。人を乗せ、人の言うことを聞く馬が選ばれて増えたのだろう。広がった時期は、スポークのある軽い車輪をつけた戦車が現れるころと重なる(車輪の登場)。馬は、まず速い戦車を引く動物としてユーラシアに広まった。馬の背にまたがって戦う騎兵が本格的に戦場に出るのは、さらに千年ほど後になる(スキタイの騎馬遊牧)。

家畜化は少なくとも二度あり、最初のものは今の馬につながらなかった。そう考えるのが、いまの理解である。ただ、ボタイの人びとがどこまで馬を飼いならしていたのか、狩った野生の馬を利用していただけではないのか、という議論は続いている。
この発見は、もう一つの古い説にも影響した。約5000年前、黒海の北の草原から、ヤムナヤと呼ばれる牧畜民が東西へ大きく広がり、ヨーロッパの人びとの遺伝子を大きく塗り替えたことが分かっている。インド・ヨーロッパ語族の言葉を広めたのも彼らだと考える研究者が多い。この大移動は、馬に乗った人びとによるものだと長く想像されてきた。だが、いまの家畜の馬の系統が広がるのはそれより数百年あとである。ヤムナヤの拡大を支えたのは、馬ではなく牛に引かせた車だったのかもしれない。2021年の研究は、そう示唆している。

ジャレド・ダイアモンドは『銃・病原菌・鉄』で、大型の草食の哺乳類148種のうち、家畜になったのは14種しかないことを取り上げた(物語「『銃・病原菌・鉄』で読む歴史」)。牛、羊、山羊、豚、馬の5種が世界中に広まり、ラクダやラマ、トナカイなど残りは限られた地域にとどまった。
なぜそんなに少ないのか。彼は条件を挙げた。人が用意できる餌で育つか。成長が早いか。囲いの中で繁殖するか。気性が荒すぎないか。驚いて暴れ出したり逃げたりしないか。群れに序列があり、人をその頂点と見なすか。どれか一つでも欠ければ家畜にならない。幸福な家庭はどれも似ているというトルストイの言葉になぞらえ、彼はこれをアンナ・カレーニナの原則と呼んだ。

アフリカのシマウマは、馬のすぐそばの仲間でありながら家畜にならなかった。年をとるほど気性が荒くなり、噛みつくと放さない。投げ縄を見るとうまく頭をよける。人がどれほど試みても、乗り物として使えるほどには飼いならせなかった。
馬を持った側は、戦争と交通で大きな力を得た。荷を運ぶ速さ、知らせが伝わる速さ、軍が動く範囲が変わった。戦車を操る貴族、馬に乗って弓を射る遊牧民、駅ごとに馬を替えて走る使者。古代から近代のはじめまで、ユーラシアの帝国の多くは、馬をどれだけ持ち、どう使うかで勝敗が分かれた。草原の遊牧民が何度も農耕の帝国を脅かしたのも、馬あってのことである。一方、アメリカ大陸では、もともといた馬が約1万2000年前に絶滅していた。16世紀、スペイン人が馬を連れて上陸したとき、アステカやインカの人びとは初めてこの動物を見た(コロンブス交換)。逃げた馬は北アメリカの大平原で野生化し、やがてその地の人びとの暮らしを変えていく。