フローレス原人の消滅
概要
身長1mほどの別の人類が、インドネシアの島に住んでいた。サピエンスがこの海域に着くころに姿を消す。2003年まで誰も知らなかった。
場所
-8.53°N 120.45°E · インドネシア・フローレス島
本文
インドネシアの東、バリ島から東へ連なる小スンダ列島の中ほどに、フローレス島がある。島の西部の山あいに、リアン・ブアと呼ばれる大きな石灰岩の洞窟が口を開けている。地元の言葉で「冷たい洞窟」という意味だ。2003年、インドネシアとオーストラリアの共同の調査隊がこの洞窟の床を6メートルほど掘り下げたところで、小さな人の骨格が見つかった。
骨は成人の女性のものだった。身長は1メートルをわずかに超える程度。脳の容積は400ミリリットル前後で、私たちの3分の1ほど、チンパンジーと変わらない。それでいて歯は人のもので、二本の脚で歩いていた。翌2004年、調査隊はこれを新しい種、ホモ・フロレシエンシスとして発表した。小さな体から「ホビット」というあだ名がつけられ、世界中の新聞が取り上げた。
発表は激しい論争を呼んだ。これは新しい種ではなく、脳が小さくなる病気をもった現代人の骨にすぎない、と主張する研究者がいた。インドネシアの著名な人類学者が骨を持ち出して調べ、返されたときには一部が壊れていた、という騒ぎもあった。だが同じ洞窟から少なくとも数体分の骨が見つかり、どれも同じように小さかった。手首の骨や足の形は、現代人よりもずっと古い人類に近く、足は体の割に長かった。病気では説明できない特徴がそろい、いまでは別の種とみる考えが広く受け入れられている。
なぜこれほど小さいのか。手がかりは、島という環境にある。離れた島では、大きな動物は食べ物が限られるために小さくなり、小さな動物は天敵がいないために大きくなることがある。フローレス島にも、小型の象の仲間ステゴドン、ネコほどの大きさの巨大なネズミ、オオトカゲのコモドドラゴン、背丈の高い大型のコウノトリがいた。洞窟からは、ステゴドンの骨と石器が一緒に見つかっている。フローレス原人は、大陸から渡ってきた祖先が、長い時間をかけて島で小さくなったものと考えられている。祖先がジャワ原人のような原人だったのか、もっと古い人類だったのかは、まだ決着がついていない。

島にはずっと前から人類がいた。島の中部では100万年ほど前の石器が見つかり、2016年には、70万年前の地層から、フローレス原人に似た小さな人類の顎と歯が見つかった。この島の人類は、何十万年ものあいだ、海に隔てられた島で独自の道を歩んでいた。
いつ姿を消したのかは、大きく揺れ動いた。最初の発表では、骨は1万8千年前ごろのもので、1万2千年前ごろまで生きていたとされた。それが正しければ、私たちホモ・サピエンスと何万年も同じ島に暮らしていたことになり、大きな驚きを呼んだ。だが2016年、洞窟の地層をあらためて調べ直したところ、骨を含む地層は10万年前から6万年前のもので、フローレス原人の石器も5万年前ごろを最後に見られなくなることが分かった。年代は数万年さかのぼった。

5万年前は、ちょうどホモ・サピエンスがこの海域にやってきた時期と重なる。サピエンスは島づたいに東へ進み、やがてオーストラリアとニューギニアがつながっていた大陸サフルへ渡った(サフルへの渡海)。洞窟では、フローレス原人の痕跡が消えたあとの地層から、サピエンスのものとみられる石器と火の跡が出てくる。同じ頃に、ステゴドンや大型のコウノトリも姿を消している。サピエンスと出会ったことが消滅の原因だったのか、火山の噴火や気候の変化が関わったのか。それを確かめる証拠は、まだ見つかっていない。島には、山奥に住む小さな人々「エブ・ゴゴ」の言い伝えがあり、フローレス原人と結びつけて語られることもあるが、それは伝説の域を出ない。
フローレス原人の発見は、人類の歴史の見方を変えた。2019年には、フィリピンのルソン島からも、別の小さな人類の骨が見つかっている。数万年前の地球には、アフリカから広がった私たちのほかに、ヨーロッパと西アジアのネアンデルタール人(ネアンデルタール人の消滅)、アジアのデニソワ人(デニソワ人)、そして東南アジアの島々の小さな人類たちが、同時に生きていた。

『サピエンス全史』(物語「『サピエンス全史』で読む歴史」)は第1章で、フローレス原人を例に挙げ、人類はつい最近まで一つの種ではなかったことを読者に思い出させる。私たちが地上でただ一つの人類になったのは、長い人類の歴史の中で、ごく最近のことにすぎない。2003年まで、フローレス原人のことを知る人は誰もいなかった。