できごと

ガス灯と夜の街

Gaslight
AD1807年
重要度 4
ロシア帝国大英帝国スペイン帝国ポルトガル帝国オスマン帝国デンマーク=ノルウェースウェーデンオーストリア帝国スペインフランスモロッコプロイセンAlgiersイギリスアイルランド王国シュヴァーベン両シチリア王国Tunisサルデーニャ王国TripolitaniaMecklenburg-StrelitzCyrenaicaザクセンAD1807年ロンドン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1807年の版図を描いています(23勢力)。

概要

石炭を蒸し焼きにして出るガスを管で送り、燃やす。1807年、ロンドンのポール・モール街に最初のガス灯が並んだ。それまで、夜の街は月と手提げの提灯だけだった。夜間の労働、夜の店、夜の劇場、そして夜の警察と犯罪。人の一日の使い方が変わった。副産物のコールタールは、当初は厄介な廃棄物で、そこからモーヴが、薬が、そして20世紀の有機化学工業が出てくる。

場所

ロンドン
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド

本文

18世紀までのヨーロッパの都市の夜は暗かった。街路の明かりは油のランプで、パリでは17世紀後半に警視総監ラ・レニーの改革で街灯が整えられ、ロンドンでも家々に明かりを掲げることが求められた。しかし光は弱く、間隔は広く、風が吹けば消えた。月の明るい夜には点灯を省くことさえあった。夜に出歩くのは危なかった。裕福な人は、松明を持った少年を雇って道を照らさせたが、その少年が客を暗い路地へ誘い込み、仲間に襲わせることもあったという。夜警はいたが、多くは年寄りで頼りにならなかった。都市の一日は、日が沈むとほぼ終わっていた。

石炭を、空気を断って蒸し焼きにすると、燃える気体が出る。残るのがコークス、液体としてたまるのがコールタールとアンモニアを含む水である。このことは17世紀から知られていた。18世紀の終わり、これを明かりに使おうとする人々が現れた。蒸気機関で知られるボールトン・アンド・ワット社の技師ウィリアム・マードックは、1792年にイングランド南西部コーンウォールの自宅をガスで照らし、1798年にはバーミンガムの工場を照らした。1802年、英仏の和平を祝って工場の外壁をガスの灯で飾り、人々を驚かせた。フランスではフィリップ・ルボンが木材から作るガスで照明の特許を取り、1801年にパリの屋敷を照らして公開したが、事業にする前の1804年、パリの路上で刺殺された。

さまざまなガス灯の意匠(1900年頃の図版)
さまざまなガス灯の意匠(1900年頃の図版)Wikimedia Commons Maurice Dessertenne · Public domain

ガスを事業に変えたのは、技術者ではなかった。ドイツ生まれで、イギリスではフレデリック・ウィンザーと名乗った興行師である。マードックが工場ごとにガスを作るべきだと考えたのに対し、ウィンザーは、一か所でガスを作り、管で町じゅうに配るという構想を持っていた。都市の基盤としては、こちらが正しかった。1807年、彼はロンドンのポール・モール街にガス灯を並べてみせた。公共の街路を照らした最初のガス灯とされる(日付については資料によって揺れがある)。1812年には国王の勅許を得て、世界最初のガス会社を設立した。1813年にはウェストミンスター橋が、数年のうちにロンドン中心部の多くの街路がガスで照らされた。

ガス灯は驚くほどの速さで世界に広がった。1816年にアメリカのボルティモア、1820年にパリ、1826年にベルリン。日本では1872年、実業家の高島嘉右衛門が横浜の馬車道にガス灯をともし、1874年には東京の銀座にも並んだ。19世紀半ばには、イギリスだけで数百のガス会社があった。

新しいガス灯に見入る通行人(ロンドン・ポール・モール、1809年)
新しいガス灯に見入る通行人(ロンドン・ポール・モール、1809年)Wikimedia Commons Thomas Rowlandson · Public domain

初期のガス灯は、魚の尾のように広がった裸の炎だった。油のランプよりずっと明るかったが、ちらつき、すすも出た。1885年、オーストリアのカール・アウアー・フォン・ヴェルスバッハが、ガスの炎で熱すると白く強く輝く網状の覆い、ガスマントルを発明した。明るさは何倍にもなり、ガス灯はその後も長く電灯と張り合うことができた。

ガス灯は、新しい仕事と新しい風景も生んだ。夕暮れになると、先に火の付いた長い棒を持った点灯夫が街灯を一つずつともして回り、明け方にはまた消して回った。町の外れには、ガスを貯めておく巨大な円筒形のガスタンクがそびえ、工業都市の空の形を変えた。日本では、1874年に銀座の通りに並んだ85基のガス灯が文明開化の象徴となり、錦絵にも盛んに描かれた。夜の銀座を明るい灯の下で歩くこと自体が、新しい時代の娯楽だった。

ガス灯は、人の一日の使い方を変えた。工場は夜も動くようになった。冬の短い昼に縛られていた生産が延びる一方、働く時間も長くなった。子どもの夜間労働を規制する1833年工場法が作られるのは、この後である。店は夜も開き、ガスの灯で照らした飾り窓を眺めて歩く楽しみが生まれた。劇場、音楽の殿堂、カフェ、酒場。夜の娯楽が産業になった。1817年にはロンドンの劇場が舞台をガスで照らし、客席を暗くして舞台だけを明るく照らすという、いまの観劇の形がここから育っていく。1830年代には、石灰を高温の炎で熱して強い光を出す「ライムライト」も舞台に使われ始めた。

1833年工場法に関わる図版:Baines 1835-Mule spinning
1833年工場法Wikimedia Commons Baines · Public domain

治安も変わった。街灯の下では犯罪が減ったと当時の人々は感じた。その一方で、犯罪は明かりの届かない場所へ移った。1888年に連続殺人の起きたロンドンのホワイトチャペルは、照明の乏しい地区として知られていた。家庭にもガスが引かれ、1840年代からは中流の家の居間が夜も明るくなった。夜に本を読むことが当たり前になり、チャールズ・ディケンズの小説の分冊や家庭向けの雑誌が大量に読まれる時代と重なっている。ただしガス灯は部屋の空気を汚し、換気の悪い部屋では頭痛を起こし、家具や本や壁紙を傷めた。ガス灯は言葉も残した。1938年の戯曲『ガス燈』では、夫が屋根裏でガスを使うために妻の部屋の灯が暗くなるのを、夫は妻の気のせいだと言い張り、妻に自分の正気を疑わせていく。他人に自分の現実の感じ方を疑わせる心理的な虐待を、英語で「ガスライティング」と呼ぶのは、この劇に由来する。

ガスを作った後に残るコールタールは、初めは厄介な廃棄物で、川に捨てられて汚染を起こした。しかしこの黒い液体こそが、宝の山だった。1825年、マイケル・ファラデーは照明用のガスを圧縮した残りからベンゼンを見つけた。コールタールからはアニリンが取り出され、1856年、ウィリアム・パーキンがそこから最初の合成染料モーヴを作り出した(モーヴと合成染料)。合成染料、医薬品、そして20世紀の有機化学工業は、ガス灯の廃棄物から出発したのである。

初期のガス灯の危険性を描いた風刺画(1813年)
初期のガス灯の危険性を描いた風刺画(1813年)Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

ガス灯の時代を終わらせたのは電気だった。1879年にエジソンの白熱電球が生まれ、1882年にはニューヨークとロンドンで発電所が電気を送り始めた。ガスと電気は半世紀にわたって競い合い、1930年代までに多くの都市の街路は電灯に変わった。それでもロンドンには、いまも千数百基のガス街灯が残っている。ウェストミンスターやセント・ジェームズ宮殿のあたりでは、専門の職人が定期的に見回り、灯を守り続けている。

同じ時代のできごと

寛政の改革AD1787年(天明7年)アメリカ合衆国憲法の制定AD1787年9月17日第一船団のボタニー湾到着AD1788年1月26日ラヴォワジエ『化学原論』AD1789年アッシニアAD1789年12月19日バウンティ号の反乱AD1789年4月28日フランス革命1789年人権宣言AD1789年8月26日
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD1807年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →