人物

ウィリアム・キッド

William Kidd
1645年頃 – AD1701年5月23日(享年56・推定)
イングランド王国重要度 2

概要

海賊を狩るはずの私掠船長から海賊として処刑された船乗り。死後、隠し財宝の伝説が世界に広まった。

本文

ウィリアム・キッドはスコットランドの生まれで、1645年ごろに生まれたとされる。生まれた町はダンディーとする記録が有力だが、グリーノックとする説もある。若いころの足取りはよく分かっていない。のちにイングランドが植民地としていたニューヨークに移り住み、船乗りとして身を立てた。

1689年ごろ、キッドはカリブ海で英仏混成の船に乗り組んでいた。乗組員とともに船長を追い出して船を奪い、ネヴィス島で「ブレスト・ウィリアム」と名を改めて船長となった。当時イングランドはフランスと戦っており(大同盟戦争)、キッドは植民地総督の下でフランス船やフランス領の島を襲う私掠船長として働いた。私掠とは、政府の免許を受けて敵国の船を襲うことで、免許のない海賊とは法の上で区別された。1691年にはニューヨークの裕福な未亡人セアラと結婚し、町の名士の一人になった。

転機は1695年に来た。ニューヨークなどの総督に任じられたベロモント伯が、インド洋の海賊とフランス船を討つ私掠の航海を企て、キッドを船長に選んだのである。費用の大半を出したのはオーフォード伯やシュルーズベリ公など、名誉革命と権利章典の後に政権を握ったホイッグ党の大物たちだった。キッドには国王の委任状と私掠免許が与えられ、大砲34門を積んだ新造船アドヴェンチャー・ギャレー号で1696年にイングランドを発った。

名誉革命と権利章典に関わる図版:William of Orange III and his Dutch army land in Brixham, 1688
名誉革命と権利章典Wikimedia Commons Johan Herman Isings · Public domain

航海はうまくいかなかった。インド洋に入っても狙う海賊は見つからず、病気で乗組員を失い、報酬が出ないことに船員の不満がたまった。1697年10月、キッドは口論の末に砲手ウィリアム・ムーアを鉄で補強した桶で殴り、死なせた。このころからキッドの船は商船を襲うようになる。1698年初め、インド沖でアルメニア商人が雇ったケダー・マーチャント号を拿捕した。絹や金銀を積んだ大きな獲物で、船はフランス東インド会社の通航証を持っていた。キッドはこの通航証を、敵国の船を襲った正当な私掠の証拠になると考えて手元に残した。

しかしイングランドでは、この拿捕は海賊行為とされた。インドではムガル帝国の成立の商人の船が相次いで襲われ、イングランド東インド会社は皇帝アウラングゼーブの怒りを買って商売を脅かされていた。キッドは追捕の対象となり、1698年に出された海賊への恩赦からも名指しで外された。マダガスカルで乗組員の多くが別の海賊船に移り、キッドは奪った船でカリブ海に戻った。ニューヨークへ向かう途中、ロングアイランド沖のガーディナーズ島に財宝の一部を埋め、取り引きの材料にしようとした。

1699年7月6日、キッドは身の安全を約束されてボストンに入ったところをベロモント伯に逮捕された。出資者でもあった伯は、自分が海賊の仲間と見られるのを恐れていた。キッドはロンドンに送られ、ニューゲート監獄に2年近く入れられた。政権を握ったトーリー党は、キッドの口からホイッグ党の出資者の名を引き出して攻撃に使おうとしたが、キッドは出資者が助けてくれると信じて名を明かさなかった。1701年5月、海事高等法院はムーア殺しと5件の海賊行為ですべて有罪とした。弁護の決め手になるはずのフランスの通航証は、裁判の場に出てこなかった。

1701年5月23日、キッドはテムズ川沿いワッピングの処刑場で絞首刑になった。最初は縄が切れて生き残り、すぐに吊るし直されたと伝えられる。遺体は鉄の籠に入れられ、テムズ河口のティルベリーで海賊への見せしめとしてさらされた。行方不明だった通航証は20世紀の初めにロンドンの役所の書類の中から見つかり、キッドがどこまで海賊だったのかは今も議論がある。

キッドの名を不朽にしたのは、死後に広まった隠し財宝の伝説である。ガーディナーズ島に埋めた分はベロモント伯が掘り出して裁判の証拠としてロンドンへ送ったが、ほかにもどこかに埋めたはずだという話が生まれ、カナダのオーク島をはじめ北米の東海岸各地で宝探しが繰り返された。エドガー・アラン・ポーの小説『黄金虫』にはキッドの財宝が登場し、スティーヴンソンの『宝島』にも影響を与えたとされる。日本でも、1930年代に海外の雑誌に載った「キッドの海図」をきっかけに、本人が一度も行ったことのないトカラ列島の宝島に財宝が眠るという話が広まった。2007年にはドミニカ共和国の沖で、ケダー・マーチャント号とみられる沈没船が見つかっている。

動画(1)

歴史を騒がせたアウトローたち3選【キッドの財宝・女盗賊お新・マフィアのあだ名】非株式会社いつかやる三選の一つとしてキッドの隠し財宝の伝説を語る
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