サローテ・トゥポウ3世
概要
トンガを47年治めた女王。1953年のロンドンで、雨のなか幌を上げずに手を振りつづけて記憶された。
関わったできごと(1)
サローテ女王とロンドンの雨AD1953年6月2日 · 参列本文
1900年3月13日、トンガの王ジョージ・トゥポウ2世の娘として生まれた。トンガは南太平洋の170あまりの島々からなる王国で、かつては海を越えて周りの島々に力を及ぼした歴史を持つ(トンガ海上帝国)。19世紀に王ジョージ・トゥポウ1世が島々を統一し、憲法を定め、キリスト教のメソジストを国の宗教のように重んじた。生まれた年に、トンガはイギリスの保護国になっている。太平洋の島々が次々にヨーロッパの植民地になっていくなかで、王国の形を保った、ほとんど唯一の国だった。

少女時代の一時期、ニュージーランドのオークランドの学校で学んだ。1917年、トンガの有力な家の出で、のちに首相となるトゥンギと結婚する。翌1918年、父王が死に、18歳で女王として即位した。
夫のトゥンギは1923年から首相を務め、1941年に亡くなるまで女王の治世を支えた。のちには息子が首相の職に就いている。王家と首相の家が結ばれることで、有力な家々の対立は和らいだ。

若い女王の前には、王国を割る問題があった。トンガのメソジストの教会は、19世紀の対立から二つに分かれ、互いに争っていた。王家が一方の教会を支え、有力な家々がもう一方を支える形で、宗教の分裂がそのまま政治の対立になっていた。サローテは時間をかけて和解を進め、1924年に教会の大半を一つにまとめた。女王自身がその教会の長でもあった。すべてがまとまったわけではないが、王国の内側の亀裂は大きく縮まった。
治世のあいだ、医療と教育に力を入れた。トンガの若者を医師や教師として海外で学ばせ、島々に病院や学校を整えた。同時に、トンガの伝統を守ることにも心を砕いた。古い家系や儀礼を記録させ、伝統を調べる委員会を作っている。

彼女自身、すぐれた作詞家であり、詩人だった。トンガの宮廷の言葉で、恋の歌、島々の風景、先祖をたたえる歌を作り、その数は百を超えるとされる。集団で歌い踊るトンガの舞踊ラカラカのための詞もあり、いまも祭りで歌われている。
第二次世界大戦では、トンガは連合国の側に立った。女王は国の資金を集めてイギリスに戦闘機を贈り、トンガの兵を、ガダルカナルの戦いに続くソロモン諸島の戦いに送った。トンガの島々にも連合軍の兵が駐留している。

1953年6月、ロンドンで女王エリザベス2世の戴冠式が行われた。サローテも招かれた。その日のロンドンは雨だった。行列のなかで、各国の賓客の多くは馬車の幌を閉じて雨を避けた。サローテは幌を開けたまま、雨に打たれながら沿道の群衆に手を振りつづけた(サローテ女王とロンドンの雨)。トンガでは、敬意を払う相手の前で身を覆わないことが礼儀とされ、それに従ったのだと説明されている。身長191センチの堂々とした女王が、ずぶ濡れで笑顔を絶やさない姿は新聞に大きく載り、イギリスの人々の心をつかんだ。この日から、遠い南の島の女王は、イギリスで最も愛された外国の賓客の一人になる。同じ年の暮れ、エリザベス2世は太平洋を回る旅の途中でトンガを訪れ、サローテのもてなしを受けた。
1965年12月16日、病の治療のために滞在していたニュージーランドのオークランドで死去した。65歳。47年の治世だった。王位は息子のトゥポウ4世が継ぎ、その治世の1970年、トンガは保護国の立場を離れて完全な独立を回復する。

サローテは、トンガで最も敬愛された君主として、いまも記憶されている。教会の和解、伝統の保護、そして外の世界への堂々とした顔。小さな島の王国が、大きな帝国のそばで自分の形を保つために、彼女は宗教と歌と礼儀を使った。ロンドンの雨のなかで幌を開けたままにした数十分は、その姿をいちばん分かりやすく見せた場面だった。