人物

ミーラーバーイー

Mirabai
AD1498年頃 – AD1547年頃(享年49・推定)
メーワール重要度 3

概要

王家に嫁ぎながらクリシュナへの信愛を歌い、宮廷を捨てて放浪した。その歌はいまも歌われている。

関わったできごと(1)

バクティ運動AD700年 · クリシュナへの信愛を歌った

本文

ミーラーバーイーの生涯は、ほとんどが伝承の中にある。同時代の確かな記録は乏しく、最も古い言及は、死から半世紀ほどのちの聖者伝である。生まれたのは1498年ごろ、北インドの西部、いまのラージャスターン州のメールタの地とされる。メールタを治めるラートール氏のラージプートの王族の娘だった。「バーイー」は女性への敬称である。

伝承によれば、幼いころ、家を訪れた修行者がクリシュナの小さな像を持っていて、ミーラーはそれを欲しがって泣いたという。あるいは、婚礼の行列を見て、私の花婿は誰かと母に尋ねると、母が冗談にクリシュナの像を指さした、という話もある。いずれにせよ、ミーラーは幼いころから、牧童の姿をした神クリシュナを自分の夫と思い定めていた、と語られる。笛を吹き、牛飼いの娘たちと戯れる若いクリシュナは、北インドで広く愛された神であり、神への一途な愛をささげるバクティ運動の中心にあった。

バクティ運動に関わる図版:Meerabai (crop)
バクティ運動Wikimedia Commons Raja Ravi Varma · Public domain

1516年ごろ、ミーラーは隣国メーワールの王家に嫁いだ。夫は、ラージプート諸侯の盟主として名高いラーナー・サーンガーの長男ボージ・ラージである。メーワールの都チットールの宮廷で、ミーラーは王家の守り神である女神への礼拝を拒み、クリシュナの像の前で歌い踊ったと伝えられる。王家の嫁が、身分の低い者も混じる修行者たちと交わり、人前で踊ることは、宮廷には許しがたい振る舞いだった。

結婚から数年で、夫は戦いの傷がもとで死んだ。1527年には、義父のサーンガーが北インドに侵入したバーブルとの戦いに敗れ(ムガル帝国の成立)、翌年に死んだ。夫が死んだとき、ラージプートの王族の寡婦には、夫の火葬の炎に身を投じるサティーが求められることがあった。ミーラーはこれを拒んだ。自分の夫は死なないクリシュナだ、というのである。

ミーラーバーイーの肖像
ミーラーバーイーの肖像Wikimedia Commons Onef9day · CC BY 3.0

その後の王たちは、ミーラーを家の恥とみなし、命を狙ったと伝えられる。毒の入った杯を贈られたが、クリシュナに捧げてから飲むと甘露に変わった。花かごに毒蛇を入れて届けられたが、開けるとクリシュナの像になっていた。釘の寝台に寝かされたが、それはバラの花の床になった。こうした奇跡の話が、彼女自身の歌の中にも、後の伝記の中にも繰り返し出てくる。

ミーラーはついに宮廷を出た。生家のメールタに戻ったが、そこも戦乱で落ちた。やがてクリシュナが少年時代を過ごしたという聖地ヴリンダーヴァンへ行き、さらに西の海辺の聖地ドワールカーへ移った。寺院の前や巡礼の集まる場所で、身分を問わず人々とともに歌った。ヴリンダーヴァンで、女性とは会わないと言う高名な学僧に、この地ではクリシュナだけが男で、ほかは皆その恋人の女たちではないのか、と言い返して会うことを認めさせた、という話も伝わる。皮革職人の出身の聖者ラヴィダースを師としたという伝承もあるが、年代が合わないとする見方が多い。

ミーラーバーイーを描いたカングラ派の絵
ミーラーバーイーを描いたカングラ派の絵Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

歌は、恋の歌の形をしている。相手はクリシュナである。私のものは山を持ち上げた牛飼いの神ただ一人、ほかには誰もいない。足首に鈴をつけてミーラーは踊った、人々はミーラーが狂ったと言う、義母は家の名を汚したと言う。会えない恋人を待ちこがれる娘の嘆きと、世間の目を振り切る強さが、平易なラージャスターン語やブラジ語でうたわれる。一世代前の詩人カビールが身分や儀礼を鋭く批判したのに対し、ミーラーの歌は、ひたすら一人の神への愛を語る。

死については、伝説だけが残る。1547年ごろ、メーワールの王家は災いが続くのはミーラーを追い出したせいだと考え、ドワールカーに使者を送って連れ戻そうとした。帰りたくないミーラーは、寺院でクリシュナの像に祈りをささげ、そのまま像の中に消えた、と伝えられる。

ミーラーバーイーとギルダルジー(クリシュナ)、『プレム・アンボードゥ・ポーティー』の挿絵
ミーラーバーイーとギルダルジー(クリシュナ)、『プレム・アンボードゥ・ポーティー』の挿絵Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

彼女の名で伝わる歌は数百にのぼるが、どれが本人の作かは確かめられない。歌い継がれるうちに、多くの人が言葉を足していったと考えられている。それでもミーラーは、インドで最も愛される聖者の一人であり続けた。ガンディーは、夫の家の権威に従わず信念を貫いた女性として彼女をたたえた。20世紀には映画にもなり、北インドの家々や寺院で、いまも彼女の歌が歌われている。

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