メノッキオ(ドメニコ・スカンデッラ)
概要
北イタリアの村の粉挽き。世界は腐ったチーズから生まれ、天使は蛆虫のように湧いたと語り、二度の異端審問のすえ火刑になった。
所属
ヴェネツィア共和国関わったできごと(1)
メノッキオの異端審問1584年 · 裁かれた本文
メノッキオ、本名ドメニコ・スカンデッラは、1532年、北イタリアのフリウリ地方の山あいの村モンテレアーレに生まれた。当時この地方はヴェネツィア共和国の支配下にあった。メノッキオは村で粉挽きを営み、ほかに大工や石工の仕事もした。妻とのあいだに多くの子をもうけ、そのうち何人かは早くに亡くしている。
粉挽き場には、麦を挽きに来る村人が集まった。待つあいだ、人びとは話をする。メノッキオは話し好きで、議論好きだった。村長を務めたことがあり、教区の教会の会計係にもなっている。豊かではないが、貧しくもない、村の中の顔役の一人だった。
メノッキオは読み書きができた。当時の農村では珍しいことだった。のちの裁判の記録で、彼は自分が読んだ本の名を次々に挙げている。俗語に訳された聖書、聖書の話をまとめた本、聖人伝、聖母についての問答の本、年代記、東方への旅を語る『マンデヴィル旅行記』、ボッカッチョの『デカメロン』。コーランの訳を読んでいた可能性もある。本はどれも村や近くの町で人から借りたもので、誰から借り、誰に貸したかまで述べている。印刷術の広がりが、山あいの粉挽きの手にまで本を届けていた。
そしてメノッキオは、読んだものを自分の頭で組み立て直し、それを村人に語った。世界の始まりについて、彼はこう言った。はじめはすべてが混沌で、土も空気も水も火も一緒くただった。その塊が、牛乳からチーズができるように固まり、そこに蛆虫が湧いた。その蛆虫が天使だった。神もまた、その塊から生まれた一人だった。キリストは人間で、教会の秘蹟は商売のための作り事であり、聖職者は貧しい者から搾り取っている。どの宗教を信じても救われうる、とも言った。
1583年、村の司祭がメノッキオを異端の疑いで告発した。翌年、彼は捕らえられ、地元の司教と異端審問官による裁判にかけられた(メノッキオの異端審問)。審問官の前で、メノッキオは黙らなかった。問われるままに、むしろ嬉々として、自分の宇宙論を語った。誰かに吹き込まれたのではないかと何度問われても、自分の頭で考えたことだと答えた。彼は有罪とされ、悔悛の衣を着て終身の牢に入る刑を受けた。
2年ほどのち、病と悔い改めの姿勢が認められ、メノッキオは釈放された。村から出ないこと、自分の考えを人に語らないこと、悔悛の衣を着続けることが条件だった。村へ戻った彼は、ふたたび粉挽きの仕事に就き、一時は教会の会計係にも戻った。
だが、語ることはやめられなかった。1599年、メノッキオは再び告発され、再犯として裁かれた。今度はローマの異端審問所が、厳しい処置を求めた。年老いた粉挽きは、その年のうちに処刑された。火刑だったとみられる。翌1600年2月、ローマでは哲学者ジョルダーノ・ブルーノが火刑に処されている(ジョルダーノ・ブルーノの火刑)。対抗宗教改革のさなか、教会は異端の芽に厳しく臨んでいた。
メノッキオの名は、そのまま歴史に埋もれるはずだった。異端審問の記録は、何百年ものあいだ文書館に眠っていた。それを読んだのが、イタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグである。1976年、ギンズブルグは裁判の記録をもとに『チーズとうじ虫』を書いた(物語「『チーズとうじ虫』で読む一人の宇宙」)。
ギンズブルグが問うたのは、メノッキオは本から何を読み取ったのか、ということだった。彼の考えの多くは、読んだ本の中には書かれていない。本の言葉を、口伝えの農民の文化のフィルターを通して読み替えた結果だ、とギンズブルグは論じた。文字を持たない民衆の世界観は、ふつう記録に残らない。それが、異端審問という権力の記録の中に、思いがけず書き留められていた。
この本は、王や国家ではなく、名もない一人の人間を通して時代を描く「ミクロストリア(微視の歴史)」の代表作になった。同じように異端審問の記録から南フランスの一つの村を描いた仕事もある(モンタイユーの異端審問)。牛乳がチーズになるように世界ができた、と言った粉挽きは、400年後に、歴史の書き方を変える一冊の主人公になった。