人物

柏木昭男

Akio Kashiwagi
1937年頃 – AD1992年1月3日(享年55・推定)
日本重要度 2

概要

バブル期の不動産業者で、海外のカジノで巨額を賭けた。トランプのカジノと勝負したことで知られ、自宅で殺された。

所属

日本

本文

柏木昭男は、大工の家に生まれた。家は貧しく、兄弟姉妹は9人いた。高校を中退して農場で働き、のちに富士山の山岳ガイドや荷運びをした。1960年代の初めに河口湖へ移って不動産の仕事を始め、1969年には不動産会社の柏木商事と金融会社を興した。道路などが整って河口湖一帯が観光地になるにつれ、土地の値は大きく上がった。

商売は強引だったと報じられている。幼稚園が使われているうちに土地を買い取って取り壊したり、立ち退かない住人のいる建物の上の階を壊して、嫌がらせとして訴えられたりした例が伝えられる。暴力団とのつながりも取り沙汰された。本人は会社の年収を1億ドル、資産を10億ドルと称していたが、アメリカの新聞の調べでは、1988年の柏木商事の売上は1500万ドルほど、従業員は5人だったという。

プラザ合意のあとの円高と、バブルの頂点へ向かう地価と株価の高騰の中で、日本の資金が海外へあふれ出した時代だった。柏木は1980年代からカジノに通い、バカラに一度に10万ドルもの大金を賭け、何十時間も打ち続けた。カジノ側は、巨額を賭ける上客をクジラ(ホエール)と呼んで手厚くもてなす。柏木はその中でも世界有数のクジラに数えられた。1990年1月にはオーストラリアのダーウィンのカジノで、2000万ドルを超える大勝をしたと報じられ、一躍その世界で名を知られた。

当時、アメリカのアトランティックシティに複数のカジノを持っていたのが、のちに大統領となる実業家ドナルド・トランプである(トランプの当選)。1990年2月、トランプは柏木を自分のトランプ・プラザに招き、海の見える最上階の部屋を用意した。柏木は初日の夜から勝ち、2日後には620万ドル勝ったまま突然引き上げた。賭け金の割に胴元の取り分が小さいバカラで大口の客に勝ち逃げされたことは、借金を抱えていたトランプのカジノにとって痛手だった。

トランプは数学者に計算させ、長く打たせるほど客の勝つ見込みは小さくなるという結論を得た。そこで、元手が倍になるか、すべて失うまで打ち続けるという取り決めをして、5月に柏木を再び迎えた。勝負は6日間に及び、柏木は一時は大きく勝ち越した。トランプは、若い女性のディーラーたちが卓につくと柏木のつきが落ちるように見えたので、そのまま担当させ続けた、と自著に書いている。柏木は最後には約1000万ドルの負けとなったところで勝負が打ち切られた。トランプは1000万ドルの勝ち負けで終える約束だったと書き、柏木は約束は1200万ドルで、トランプが途中で勝負を降りたのだと主張した。言い分は今も食い違っている。

柏木は負けのうち600万ドルを払ったが、残りは払えなかった。損を取り戻そうとヨーロッパのカジノでも打ったが、さらに1500万ドル余りを失った。バブルが崩れると会社は多額の借入金を返せなくなり、銀行への借金は会社の資産を上回った。ラスベガスやアトランティックシティのカジノへの借金も残ったままだった。

1992年1月3日の夜、柏木は河口湖畔の豪邸の台所で、日本刀のような刃物で何か所も刺されて死んでいるのが見つかった。54歳だった。家の中のダイヤモンドや骨董、現金には手がつけられておらず、押し入った跡もなかった。翌月、暴力団員の男らが逮捕されたが、凶器が見つからず釈放された。事件は解決しないまま、2007年に時効を迎えた。

ふだんの柏木は、宝飾品を身に着けず、青い縞のシャツに地味なネクタイという、カジノの大口客らしからぬ身なりだったという。横山大観の絵などの美術品を集め、ときに美術館に貸し出してもいた。1995年のマーティン・スコセッシ監督の映画『カジノ』に出てくる日本人の大口客は、柏木をモデルにしたものとされる。

動画(1)

ドナルド・トランプがピンチ?17億円を賭けた勝負がリアルカイジ過ぎる【柏木昭男】非株式会社いつかやるトランプのカジノと億単位で渡り合った実在の賭博師を語る
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