人物

細谷十太夫

Hosoya Jutayu
1845年 – AD1907年5月6日(享年62・推定)
仙台藩重要度 2

概要

仙台藩士。戊辰戦争で博徒や侠客を集めて衝撃隊を作り、黒装束から鴉組と呼ばれた。晩年は僧になった。

本文

細谷十太夫は、幕末の仙台藩士である。名は直英といい、十太夫は通称である。生まれた年は弘化2年(1845年)とも天保10年(1839年)とも言われ、はっきりしない。仙台藩の番士という下級の武士の家に生まれ、幼くして両親を亡くし、祖父に育てられた。

元服すると京都の藩邸に勤めたが、芝居小屋で乱闘騒ぎを起こして仙台へ戻され、石巻の銭を鋳る役所に回された。やがて藩の偵察方、つまり隠密となり、行商人や土木の人夫、宿屋の下男、料理屋の番頭など、さまざまな姿に化けて諸藩の様子を探った。この仕事のなかで、各地の博徒の親分たちとつながりを持つようになる。

1868年、鳥羽・伏見の戦いで始まった戊辰戦争は、やがて東北に及んだ。新政府が会津藩の討伐を命じると、仙台藩をはじめとする東北・北越の諸藩は会津に同情し、奥羽越列藩同盟を結んで新政府と戦うことになった。仙台藩は62万石を領する東北一の大藩で、同盟の中心だった。奥州の入口にあたる白河の城をめぐっては、同盟の軍と新政府軍が激しく争った(白河口の戦い)。城は5月に新政府軍の手に落ち、同盟の軍はその後3か月近くにわたって取り戻そうと攻め続けたが、果たせなかった。数で勝りながら、新しい銃を備えた新政府軍に押し返される戦いが続いた。

このころ十太夫は、白河に近い須賀川で、東北の大親分をはじめとする博徒や侠客を集め、衝撃隊という部隊を作って自ら隊長になった。正規の藩兵だけでは足りない兵を、裏の世界の顔役たちとのつながりで補ったのである。隠密として各地を歩いた経験が、ここで生きた。武士の身分を持たない博徒たちは、藩の格式や作法に縛られず、土地の道や山を知り尽くしていた。十太夫が黒装束の上に羽織った半纏の背中には、八咫烏の模様が描かれていた。隊員たちも黒装束をまとっていたことから、衝撃隊は鴉組と呼ばれた。土地に詳しい隊員たちを率いた夜襲で、新政府軍を悩ませたと伝えられる。

しかし戦いの大勢は同盟の側に不利だった。白河の城は取り戻せず、秋になると会津は包囲され(会津戦争)、同盟の諸藩も次々に降伏した。十太夫は仙台藩の最後の戦いとなった旗巻峠の戦いにも加わったが、この戦いに敗れた仙台藩は降伏を決めた。十太夫は藩から受け取った大金を隊員たちに分け与えて衝撃隊を解き、自らは新政府の追っ手を逃れて身を隠した。

会津戦争に関わる図版:Battle of Aizu at Wakamatsu castle by Tsukioka Yoshitoshi
会津戦争Wikimedia Commons Yoshitoshi · Public domain

戊辰戦争の罪を許す大赦が出ると、十太夫はようやく姿を現した。その後はかつての部下たちを率いて、宮城県や北海道の開拓に力を尽くした。

1894年に日清戦争が始まると、50歳前後になっていた十太夫は陸軍少尉となって大陸へ渡り、千人隊長として働いた。帰国後は警視庁の小隊長も務めた。若い頃から歩んだのは、隠密、侠客の頭、開拓者、軍人、警官と、まるで変わり続ける道だった。

日清戦争に関わる図版:旅顺海军公所
日清戦争Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

晩年の十太夫は仙台へ戻り、龍雲院に葬られている仙台藩の学者、林子平を慕って、髪を剃り僧になった。林子平は江戸時代の半ばに『海国兵談』を著して海の守りの大切さを説き、そのために幕府から罰せられた人物である。藩のために働きながら報われなかった先人に、自分の姿を重ねたのかもしれない。やがて龍雲院の住職となり、戊辰戦争と日清戦争で死んだ人々を弔って過ごした。1907年5月6日に死んだ。63歳とも68歳とも言われる。隠密から始まった波乱の生涯を、戦死者を弔う僧として終えたのである。法名には、鴉組の名にちなむ「鴉仙」の二文字が入っている。

鴉組の話は、正規の武士ではない者たちが幕末の戦いを担った例として、のちに多くの作家を引きつけた。大佛次郎の『細谷十太夫』、新選組を描いたことで知られる子母澤寛や、早乙女貢の『からす組』などの小説があり、岡本喜八監督の映画『吶喊』(1975年)にも十太夫が登場する。

動画(1)

戦争で活躍しまくった異色の特殊部隊3選【幕末ブレイキングダウン集団・ナバホコードトーカー・アメリカの日本人部隊】非株式会社いつかやる特殊部隊三選の一つとして鴉組を語る
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