クリストファー・ショールズ
概要
ペンシルヴェニアの生まれ。印刷の徒弟から新聞の編集者になり、ウィスコンシン州の議員と税関の役人も務めた。奴隷制に反対し、州の死刑廃止に関わっている。1867年から、カルロス・グリデン、サミュエル・ソウルとともに印字機の試作を重ね、五十以上の型を作った。特許をレミントン社に売り、その後も改良を続けた。晩年は結核を病み、キーボードの配列を作り直そうとしていた。その改良案は、採用されなかった。
所属
アメリカ合衆国関わったできごと(1)
タイプライターとQWERTYAD1873年 · 作った本文
クリストファー・レイサム・ショールズは1819年2月14日、ペンシルヴェニア州ムーアズバーグに生まれた。少年のころから印刷所に徒弟として入り、活字を拾い、紙を刷る仕事を覚えた。一家はやがて西のウィスコンシンへ移り、彼もそこで印刷と新聞の世界に生きた。

印刷工から編集者になり、ウィスコンシンのいくつもの新聞を手がけた。同時に政治にも関わり、州の上院と下院の議員を務めた。奴隷制がこれ以上広がることに反対し、のちに共和党の側に立った。ウィスコンシン州は1853年に死刑を廃止したが、ショールズは新聞を通じてその運動を後押しした一人とされる。州はそれ以来、一度も死刑を執行していない。南北戦争のころにはミルウォーキーの港の税関の役人に任じられ、比較的時間に余裕のある職だったことが、発明に打ち込むゆとりを生んだ。
ミルウォーキーには、発明好きが集まる機械工場があった。ショールズはそこで、弁護士のカルロス・グリデン、印刷業者のサミュエル・ソウルと知り合った。三人がまず作ったのは、本や帳簿のページに番号を自動で打つ機械で、1866年に特許を取った。その機械を見たグリデンが、雑誌で読んだ外国の印字機の記事を示して、番号が打てるなら文字も打てるのではないか、と持ちかけたという。

1867年から、三人は文字を打つ機械づくりに取りかかった。最初の型はピアノのような鍵盤を持ち、文字はアルファベット順に並んでいた。それから6年あまり、彼らは数十もの試作を重ねた。資金を出したのは、元新聞発行人のジェームズ・デンズモアである。彼は極めて厳しい出資者で、ショールズがもう十分だと思うたびに、これでは売れないと突き返した。ショールズは後年、この厳しさのおかげで機械が仕上がったと認めている。
試作機は電信の通信士や速記者に貸し出して使わせ、その報告をもとに作り直した。当時の機械では、文字を打つ棒が下から円く並んで上に跳ね上がる仕組みで、続けて打つ文字の棒が近くにあると、ぶつかって絡まりやすかった。文字の並びは試作のたびに入れ替えられ、最上段の左からQ、W、E、R、T、Yと並ぶ、いまのキーボードの原型ができあがった。よく使う組み合わせを離して絡まりを減らすためだったと説明されることが多いが、電信士の使い勝手に合わせた結果だという見方もあり、決め手ははっきりしない(タイプライターとQWERTY)。

1873年3月、彼らは機械の製造を、銃やミシンを作っていたニューヨーク州の会社E・レミントン・アンド・サンズに任せる契約を結んだ。精密な部品を大量に作る技術を持つ会社だった(ミシンと分割払い)。ショールズは自分の権利を手放して1万2000ドルを一度に受け取った。歩合を選んだデンズモアは、のちに100万ドルを優に超える収入を得たと伝えられる。ショールズの選択は、金銭の上では大きな失敗だった。
1874年に売り出された機械は、大文字しか打てず、打った文字は紙の裏側に隠れて、打ちながらは見えなかった。値段も高く、はじめはよく売れなかった。それでも改良が重ねられ、1880年代には事務所の道具として広がっていった。ショールズ自身も、権利を売ったあとも機械の改良を続け、いくつもの特許を取った。
彼は、この機械が女性の働き方を変えると考えていた。女性がより楽に生計を立てられるようになるだろう、と晩年に語ったとされる。その予想は当たった。タイプライターを打つ仕事は、電話の交換(電話交換手)と並んで、事務所に女性が大勢働く道を開いた。ただ、それが賃金が低く、昇進の道の閉ざされた仕事でもあったことまでは、彼の視野にはなかったかもしれない。
晩年のショールズは結核に苦しみながら、文字の並びをもう一度作り直そうとしていた。新しい配列の特許も出願したが、採用されることはなかった。すでに打ち手たちはその並びに指を慣らし、教本も学校もその並びで動き始めていたのである。1890年2月17日、ショールズはミルウォーキーで死んだ。71歳だった。
彼が作った機械は、いまでは博物館で見るものになった。文字を打つ棒も、絡まる心配も、とうに消えている。それでも、彼と仲間たちが試行錯誤の末に決めた文字の並びは、世界中のパソコンのキーボードと携帯電話の画面の上に残っている。理由が消えたあとも形だけが残ることは珍しくないが、これはそのいちばん広く行き渡った例だろう。