ピナクル・ポイントの海辺の暮らし
概要
貝を採り、赤い顔料を使い、石を火で処理した跡が残る。氷期で内陸が干上がったとき、海辺が逃げ場になった。アフリカの中での拡散と生き残りの一例。
場所
-34.21°N 22.09°E · 南アフリカ・西ケープ州
本文
南アフリカの南の端、インド洋に面したモッセル湾の近くに、ピナクル・ポイントという岬がある。海に落ち込む崖の途中に、いくつもの洞窟が口を開けている。2000年からアメリカの考古学者カーティス・マリアンらが調査を進め、その一つ、13Bと名付けられた洞窟から、およそ16万年前の人の暮らしの跡が見つかった。2007年に発表されたこの発見は、私たちの祖先の初期の暮らしについての考えを大きく揺さぶった。
洞窟の床には、貝殻が積もっていた。カサガイやイガイなど、岩場でとれる貝で、人が集めて持ち込み、食べた残りである。海の幸を計画的に集めて食べていたことを示す証拠としては、世界で最も古いものの一つになる。
貝を採るには、潮の満ち引きを知っていなければならない。岩場が姿を現すのは大潮の干潮のときで、それは月の満ち欠けとつながっている。月の形を見て、いつ海辺に行けばよいかを予測していた可能性がある、とマリアンは考えている。貝は狩りの獲物のように逃げず、季節を選ばずに、女性や子どもでも確実に集められる。栄養も豊かで、脳の発達に欠かせない脂肪酸も含まれている。
同じ層からは、赤い顔料のかけらも50点あまり出た。鉄分を含む赤い土(オーカー)で、こすったり削ったりした跡が残っていた。何に使ったのかは分からない。体や道具に色を塗ったのだとすれば、それは身を飾り、仲間の印を示す、象徴の行為だったかもしれない。皮をなめす、接着剤に混ぜるといった実用の用途を考える研究者もいる。
小さな石の刃も出た。細長く薄い刃で、柄に何枚か並べてはめ込み、組み合わせの道具として使ったとみられる。
この洞窟群では、もう一つ重要な発見がある。シルクリートという石を、火で熱してから割る技術である。この石は、そのままでは割りにくいが、地中に埋めて火で長い時間温めると、性質が変わって薄く鋭い刃を打ち出しやすくなる。2009年に発表された研究は、この熱処理がピナクル・ポイントで16万年ほど前から行われ、7万年あまり前には当たり前の技術になっていたことを示した。火の温度と時間を加減する、何段階もの手順を要する技術で、それを身につけ、仲間に伝えていく力があったことになる。
16万年前ごろの地球は、長く厳しい氷期の中にあった。アフリカの大地は乾き、内陸の多くが砂漠や乾いた草原に変わった。ホモ・サピエンスの出現からまだ十数万年しかたっていない私たちの祖先にとって、住める土地は大きく狭まっていた。
マリアンは、こうした時期に、南アフリカの南岸が数少ない避難所の一つになったと考えた。ここでは冷たい海流と暖かい海流が出会い、岩場には貝が豊かで、陸には実のなる植物や球根も多かった。海辺に暮らした小さな集団が、厳しい氷期を生き延び、のちの人類の祖先になったのではないか、という説である。いまの人類の遺伝子の多様性の小ささから、人類はかつて一度、かなり小さな集団にまで減った時期を通ったと考えられている。それがこの氷期にあたるのか、あるいは7万4千年ほど前のトバ火山の噴火のころなど別の時期なのかは、まだ確かめられていない。避難所は南岸だけでなく、アフリカのほかの場所にもあったとする見方も強い。

ピナクル・ポイントの発見が投げかけたのは、私たちが「人間らしく」なったのはいつか、という問いでもある。複雑な言葉や象徴を使い、新しい技術を生み出し伝える力が、7万年ほど前に突然花開いたとする考え方がある(認知革命)。だが、ピナクル・ポイントの貝と顔料と熱処理の技術は、そのずっと前から、その力の芽生えがあったことを示している。南アフリカでは、7万5千年ほど前のブロンボス洞窟から、幾何学の模様を刻んだ顔料の塊や貝殻のビーズも見つかっている。人間らしさは一度に現れたのではなく、アフリカの各地で長い時間をかけて少しずつ積み重なっていったと考える研究者が、いまは多い。
氷期が明け、また訪れ、海面が上がっては下がる中で、海辺の暮らしは何万年も続いた。崖の洞窟に残る貝殻の山は、潮の満ち引きを読み、火を加減し、色を使った人々の、長い生存の記録になっている。