ニュートンの反射望遠鏡
概要
レンズの望遠鏡は、色がにじむ。光の色によって屈折の度合いが違うためで、ニュートンはプリズムの実験からその原因を知っていた。鏡なら色は分かれない。彼は銅とスズの合金を自分で鋳て、磨いて凹面にし、小さな斜めの鏡で光を横へ出した。全長わずか十五センチほどで、当時の一メートル超の屈折望遠鏡に匹敵した。1672年に王立協会へ送られ、彼はそれで会員になった。現在の大型望遠鏡は、すべて鏡である。
場所
52.21°N 0.12°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
アイザック・ニュートンAD1643年–AD1727年 · 作った本文
17世紀の望遠鏡は、レンズで光を集めていた。ところが、レンズの望遠鏡には厄介な癖があった。明るい星のまわりに紫や赤の縁がにじみ、像がくっきりと結ばない。のちに色収差と呼ばれる現象である。天文学者たちは、焦点の距離を長くすればにじみが目立たなくなることに気づき、長さが何メートル、ときには何十メートルもある、扱いにくい望遠鏡を作っていた。
この癖の原因を突き止めたのが、若き日のアイザック・ニュートンだった。1660年代の半ば、彼はプリズムを使った実験で、白い光はさまざまな色の光が混ざったものであり、色によってガラスで曲がる度合いが違うことを示した(ニュートンのプリズム)。赤い光はあまり曲がらず、紫の光はよく曲がる。だからレンズを通ると、色ごとに少しずつ違う場所で焦点を結んでしまう。にじみは、レンズの磨き方が悪いせいではなく、ガラスという物の性質から来ていた。

ニュートンはここから、屈折を使うかぎり、このにじみは原理として直せないと結論した。これは結果として誤りだった。18世紀には、性質の違う二種類のガラスを組み合わせればにじみを打ち消せることが分かり、1730年代にチェスター・ムーア・ホールが、1758年にはジョン・ドロンドが、色消しのレンズを作っている。だがニュートンはそう考えなかったので、別の道を探した。鏡である。光が鏡で跳ね返るときは、どの色も同じ角度で反射する。鏡で光を集めれば、色はにじまない。
鏡で光を集める望遠鏡という考えには先例があった。スコットランドのジェームズ・グレゴリーは、1663年に反射望遠鏡の設計を発表していた。しかし、それに見合う鏡を作れる職人がおらず、実物はできなかった。ニュートンは、職人に頼らず、すべてを自分の手で作ることにした。

1668年、彼はまず鏡の材料となる金属を自分で調合した。銅とスズの合金に少量のヒ素を加えると、白っぽく、磨きやすくなる。配合をいくつも試した記録が残っている。それを鋳型に流し込み、磨いて凹面に仕上げた。最も難しいのがこの研磨で、研磨の道具や手順も自分で工夫した。凹面の鏡で集めた光は、そのままでは筒の中で焦点を結び、覗こうとする観測者の頭が光をさえぎってしまう。そこで彼は、筒の先近くに小さな平らな鏡を45度に傾けて置き、光を横へ出して、筒の側面に付けた接眼レンズで見るようにした。この形式は、いまもニュートン式と呼ばれている。グレゴリーの設計のように主鏡に穴を開けて後ろから覗く方式より、作るのがはるかにたやすかった。
できあがった望遠鏡は驚くほど小さかった。主鏡の直径は3センチ余り、筒の長さは15センチほどで、倍率はおよそ40倍。それでいて、長さが1メートルを超える当時の屈折望遠鏡に劣らない像を見せ、しかも色がにじまなかった。ニュートンはこれで木星の衛星や金星の満ち欠けを観察している。
1671年の末、ニュートンは改良した二台目を、ロンドンの王立協会の設立に送った。協会の人々は熱狂し、望遠鏡は国王チャールズ2世にも披露された。翌1672年1月、ニュートンは王立協会の会員に選ばれた。ケンブリッジの若い教授が、学問の世界に広く名を知られた最初の出来事である。のちに彼の名を不動のものにする『プリンキピア』が出るのは、それから15年後のことだった。

名声は、すぐに争いも呼んだ。1672年2月、ニュートンは光と色についての論文を王立協会に送った。プリズムの実験から、白い光が色の混ざり合ったものであることを論じたものである。これに、協会で実験を取り仕切っていたロバート・フックが厳しい批判を加えた。フックは顕微鏡の観察で知られた人物で(『ミクログラフィア』)、光について自分の考えを持っていた。論争は長く続き、ニュートンは深く傷ついた。彼は光についての大きな著作の刊行を長く控え、『光学』が出たのは、フックが世を去った翌年の1704年だった。
反射望遠鏡にも弱点があった。銅とスズの合金の鏡は、空気に触れて曇る。数か月ごとに磨き直さなければならず、磨くたびに面の形が狂う。光を跳ね返す割合も6割ほどと低く、明るい像を得るには鏡を大きくするしかなかった。これが18世紀から19世紀にかけて、反射望遠鏡の最大の悩みだった。
それでも、反射望遠鏡は大きくなり続けた。18世紀の後半、ドイツ生まれでイギリスに住んだウィリアム・ハーシェルは、妹のカロラインと二人で数百枚の鏡を磨き、自作の望遠鏡で1781年に天王星を見つけた。のちには口径1.2メートルの巨大な望遠鏡も作っている。1845年、アイルランドのロス卿は口径1.8メートルの「リヴァイアサン」を建て、渦巻き状の星雲の形をはじめて捉えた。1850年代には、ガラスの鏡の表面に銀の薄い膜を付ける方法が実用になり、金属の鏡の時代は終わった。ガラスは温度で形が変わりにくく、軽い。曇れば銀の膜だけを付け直せばよく、鏡の形は狂わない。20世紀にはアルミニウムの膜が使われるようになった。
屈折望遠鏡のほうは、19世紀の末に限界に達した。大きなレンズは縁でしか支えられず、自分の重みでたわむ。厚いガラスは光を吸い、泡や筋の無い大きなガラスの塊を作るのも難しい。1897年に完成したアメリカのヤーキス天文台の口径1メートルのレンズが、いまも世界最大の屈折望遠鏡である。それより大きなものは作られていない。
いまの大きな望遠鏡は、すべて鏡で光を集めている。ハワイのケック望遠鏡は36枚の鏡を組み合わせて直径10メートル、日本のすばる望遠鏡は一枚の鏡で直径8.2メートルある。地球のまわりを回るハッブル宇宙望遠鏡も、2021年に打ち上げられたジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡も、鏡の望遠鏡である。口径30メートル級の望遠鏡も建設が進んでいる。どれも、ケンブリッジの若者が色のにじまない像を求めて自分で鋳て磨いた、小さな鏡の延長にある。ニュートンの手になると伝えられる反射望遠鏡は、いまもロンドンの王立協会に残されている。