セルジオ・オリバ
概要
キューバ出身のボディビルダー。亡命してアメリカに渡り、1967年から3年続けてミスター・オリンピアに輝いた。愛称は「神話」。
所属
アメリカ合衆国本文
セルジオ・オリバは、1941年7月4日、キューバ東部のグアンタナモで生まれた。アメリカ海軍の基地があることで知られる町である。キューバはバティスタの政権のもとにあり、オリバは十代のうちから重量挙げで頭角を現した。床からバーベルを肩まで引き上げ、頭上へ差し上げるクリーン・アンド・ジャークで、180キロを超える重さを挙げたという。
1959年のキューバ革命で、キューバはフィデル・カストロの政権に変わった。1962年、オリバは重量挙げの選手として、ジャマイカで開かれた中米カリブ大会のキューバ代表に選ばれた。その大会のさなか、彼はアメリカへの亡命を求め、認められた。このあと、重量挙げのキューバ代表チームとその監視役を含む65人が、彼に続いて亡命を求めたと伝えられる。キューバとアメリカの関係が最も張りつめた年のことだった。

アメリカに渡ったオリバは、はじめマイアミでテレビの修理工として働いた。やがてシカゴへ移り、重量挙げからボディビルへと移っていく。ボディビルは筋肉の大きさと形、全体の均整を競う競技で、1965年には、雑誌の発行人ジョー・ウイダーらの手で、世界一を決める大会としてミスター・オリンピアが始まっていた。第1回と第2回を制したのはアメリカのラリー・スコットで、彼は2度目の優勝のあと引退した。空いた王座を争う次の世代の筆頭が、オリバだった。
オリバの体は、それまでのボディビルダーとは別物だった。広い肩と背中、太い腕に比べて腰は驚くほど細く、上半身は逆三角形を描いた。大会のときの体重は100キロから110キロほどあり、大きさと形のよさを兼ね備えた体は、見る者を圧倒した。1967年、オリバはミスター・オリンピアで初めて優勝し、翌1968年には誰も挑戦者が現れないまま王座を守った。1969年には、ミスター・ユニバースを四度制した22歳のアーノルド・シュワルツェネッガーを破って三連覇を果たした。のちに映画俳優となり、カリフォルニア州知事にまでなる男が、まだ王座に届かなかった頃の話である。その体つきと強さから、彼は「ザ・ミス」、つまり神話と呼ばれるようになった。
しかし1970年、オリバはシュワルツェネッガーに敗れて王座を明け渡した。1971年には別の団体の大会に出たことを理由に、ミスター・オリンピアへの出場を禁じられた。1972年、西ドイツのエッセンで開かれた大会で再び挑んだが、またもシュワルツェネッガーに次ぐ二位に終わった。この二人の争いは、ボディビルの歴史で最も名高い対決の一つとして語られている。オリバはその後、長くミスター・オリンピアの舞台を離れ、40歳を過ぎた1984年と1985年に復帰したが、いずれも八位にとどまった。
競技のかたわら、オリバは1976年から2003年まで、四半世紀以上にわたってシカゴで警察官として働いた。トレーニングを続けるために、長い勤務のあとでジムに通ったと伝えられる。1986年には、当時の妻に拳銃で撃たれ、腹に5発の銃弾を受けたが、一命を取りとめた。
2012年11月12日、オリバはシカゴで腎臓の病のために死んだ。71歳だった。息子のセルジオ・オリバ・ジュニアもボディビルダーとなり、父と同じプロの舞台に立っている。日本では、板垣恵介の格闘漫画『グラップラー刃牙』のシリーズに登場する、筋肉の怪物ビスケット・オリバのモデルとして名が挙げられることがある。
革命後のキューバから一人で亡命し、テレビの修理工から世界一の肉体の持ち主になった。オリバの生涯は、冷戦の時代に国を捨てたスポーツ選手の物語でもある。