人物

フランク・ルーク

Frank Luke Jr.
AD1897年5月19日 – AD1918年9月29日(享年21)
アメリカ合衆国重要度 2

概要

第一次世界大戦のアメリカの撃墜王。敵の観測気球を次々に落とし「アリゾナの気球撃墜王」と呼ばれ、21歳で戦死した。

所属

アメリカ合衆国

本文

フランク・ルークは1897年、アリゾナのフェニックスに生まれた。父は1874年にドイツから移り住んだ人で、フランクは9人きょうだいの5番目だった。スポーツに秀で、銅山で働き、素手で殴り合う賭けボクシングにも出たという、荒っぽい若者だった。ルークが6歳だった1903年にライト兄弟の初飛行があり、それからわずか十数年で、彼は飛行機に乗って戦場の空を飛ぶことになる。

1917年4月、アメリカが第一次世界大戦に加わると、ルークはその年の9月、陸軍通信隊の航空部に志願した。テキサスとカリフォルニアで飛行の訓練を受け、1918年3月に少尉に任じられてフランスへ渡る。7月、第1追撃群の第27航空隊に配属された。

第一次世界大戦に関わる図版:Bataille de Verdun 1916
第一次世界大戦Wikimedia Commons Collection DocAnciens/docpix.fr · Public domain

ルークは腕は立ったが、傲慢で、単独で飛び出したり命令に背いたりすることがあり、仲間や上官には嫌われていた。その彼が力を発揮したのが、敵の観測気球を落とす任務である。前線の後方に係留された気球は、砲兵の目となって味方の陣地を見張る。地上には対空砲や機関銃が並んで厚く守られており、近づくだけで命がけだった。気球は水素で膨らませてあり、焼夷弾が当たれば一瞬で燃え上がるが、そこへたどり着くまでに撃ち落とされる飛行士が多かった。気球を落とした数は飛行機と同じく撃墜の数に数えられ、気球を狙う者は「気球撃墜屋」と呼ばれた。ルークは親友のジョゼフ・ウェーナー中尉と組み、ルークが気球を襲い、ウェーナーが上から守るという形で、自ら進んでこの任務を引き受けた。

1918年9月12日、米軍がサン・ミエルで攻勢を始めると、ルークの戦果は一気に積み上がった。9月29日までの18日間に、ドイツの気球14と飛行機4を撃墜したと認められている。8日間、10回の出撃で18機という記録は、大戦中のどの飛行士も超えられなかった。9月18日、ウェーナーがルークを襲ったフォッカー機との戦いで撃ち落とされて死ぬ。ルークはその直後にフォッカー2機と気球2つ、さらに偵察機1機を落とした。

最後の飛行はムーズ・アルゴンヌ攻勢の最初の段階だった。9月28日、戦果を挙げたあと、ルークはエンジンの不調を理由にフランス軍の飛行場に降りて一夜を過ごした。翌日基地へ戻ると、隊長から無断で離れたとして逮捕すると迫られる。ルークは許しを得ずに再び飛び立って前線の飛行場へ向かい、彼に好意的だった追撃群の指揮官ハートニー少佐が逮捕の命令を取り消して、気球狩りを黙認した。

その夕方、ルークはドイツ軍の前線の9キロほど後方、ダン・シュル・ムーズの近くにある3つの気球へ向かった。出撃の前には、近くの味方の気球隊に、これから攻撃するのを見ていてくれ、という通信筒を落としている。3つの気球はすべて落としたが、丘の上の機関銃から撃たれた1発が体を貫いた。ルークはミュルヴォー村の西の野に機を降ろし、小川のほうへ歩いたが、機体から200メートルほどのところで倒れた。近づいてきたドイツ兵に拳銃を数発撃ち、そこで息絶えた。21歳だった。翌日、遺体の前に7人のドイツ兵が倒れていたという話が広まったが、これは誤りだったことが分かっている。

ドイツ軍はルークをミュルヴォーの墓地に葬り、米軍がのちに遺体を引き取った。いまはムーズ・アルゴンヌの米軍墓地に眠る。死後、米陸軍の飛行士として初めて名誉勲章を贈られた。もっともその表彰文の「四方を囲まれて」といった描写は、フランス人の証言を取り違えたもので、伝説の一部になったとされる。

敵の気球を専門に狙い、立て続けに落としたことから、ルークは「アリゾナの気球撃墜王」と呼ばれた。アメリカ陸軍の航空部隊でこれを上回る撃墜数を残したのはエディ・リッケンバッカーだけで、そのリッケンバッカーが、大戦全体で最も大胆な飛行士だったと讃えている。アリゾナのルーク空軍基地は彼の名にちなむ。2023年、アメリカ上空に飛来した中国の気球を撃ち落とした戦闘機は、ルークにちなんで「FRANK01」という呼び出し符号を使った。

動画(1)

信じられないあだ名!あの偉人は『絹を履いた糞』って呼ばれていた!?非株式会社いつかやるあだ名当てで「アリゾナの気球キラー」の正体として出す
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