アッバース1世
概要
イスファハーンを「世界の半分」と讃えられる都にした。シーア派がイランの柱として定まる。
所属
サファヴィー朝関わったできごと(1)
サファヴィー朝のイスファハーンAD1598年 · 当人本文
1571年1月27日、イラン東部の町ヘラートに生まれた。父はサファヴィー朝の王子ムハンマド・ホダーバンダで、目が悪く、政治の力は弱かった。サファヴィー朝は16世紀の初め、トルコ系の遊牧部族の騎兵キズィルバーシュに担がれて興った王朝である。キズィルバーシュは「赤い頭」の意味で、赤い心棒の付いた頭巾をかぶっていたことから来ている。王朝はシーア派の十二イマーム派を国の宗教に定め、スンナ派のオスマン帝国と激しく争っていた。

アッバースは幼い頃からホラーサーン地方の名目上の総督とされ、キズィルバーシュの部族長たちに担がれる飾りの王子だった。部族同士の権力争いは激しく、母は宮廷でキズィルバーシュに殺された。父が王位に就くと、国は内紛でさらに乱れ、西からはオスマン帝国が、東からは中央アジアのウズベクが攻め込んできた。
1588年、17歳のアッバースは、自分を擁する部族長に担がれて都カズヴィーンに入り、父を退けて王になった。即位するとまず、自分を王にしたその部族長を殺させた。部族長の操り人形で終わるつもりはなかったのである。

王朝は東西から攻められて崩れかけていた。アッバースは両方と同時には戦えないと判断し、1590年、オスマン帝国と講和を結んだ。タブリーズを含む北西部の広い領土を譲り渡すという、屈辱的な条件だった。そうして時間を稼ぎ、その間に軍を作り替えた。
それまでの軍の中心は、キズィルバーシュの部族の騎兵だった。彼らの忠誠は王個人より自分の族長に向いていた。アッバースは、カフカスのジョージア人、アルメニア人、チェルケス人などの捕虜や改宗者から兵を集め、王に直属する奴隷身分の軍団を作った。さらにイラン人の農民から鉄砲兵を、別に砲兵も組織した。給与は、部族長に任せていた領地を王の直轄に戻し、そこから上がる税でまかなった。オスマン帝国のイェニチェリにも似た、王のための常備軍である。この頃、イギリス人のシャーリー兄弟がイランを訪れ、軍の近代化を助けたと語られることがあるが、その役割は誇張されているとされる。

1598年、まず東のウズベクを破り、ヘラートとマシュハドを取り戻した。そして1603年、オスマン帝国との戦いを再開し、翌年までにタブリーズとカフカスの領土を奪い返した。即位のときに譲った土地を、ほぼすべて取り戻したことになる。退却の際には、オスマン軍に食料を残さないよう土地を焦土とし、アルメニア人の商業の町ジュルファの住民を丸ごと移住させた。移住の途中で多くの人が死んだとされる。
1598年、都をイラン中部のイスファハーンに移した。ここで新しい都を大がかりに造った(サファヴィー朝のイスファハーン)。中心に縦500メートルを超える大広場を開き、その四方に王のモスク、王家のための小さなモスク、宮殿の門、そして大きな市場の入口を置いた。並木の大通りが町を貫き、川には橋が架けられた。人口は数十万に達したと言われる。「イスファハーンは世界の半分」という言葉は、この頃の繁栄から生まれた。

移住させたアルメニア人は、都の対岸に新ジュルファの町を与えられ、信仰を許された。彼らはイランの主な輸出品である絹の取引を担い、ヨーロッパやインドまで商売の網を広げた。王は絹の取引を国の専売とし、その利益を国庫に入れた。
外の勢力との駆け引きにも長けていた。1622年、イギリス東インド会社の艦隊の助けを借りて、ペルシア湾の入口のホルムズ島を、100年あまり支配していたポルトガル帝国から奪った。対岸の港はバンダレ・アッバース、「アッバースの港」と名付けられ、交易の窓口になった。同じ年に東ではムガル帝国から要地カンダハールを奪い、翌年には西でバグダードを取った。

信仰の面では、シーア派をイランの柱として根づかせることに力を注いだ。1601年には、イスファハーンから東のマシュハドにあるイマーム・レザーの廟まで、自ら歩いて巡礼した。オスマン帝国の支配するメッカへの巡礼に代わり、国内のシーア派の聖地へ人々の目を向けさせる意味もあったとされる。
一方で、身内への猜疑心は強かった。息子たちが自分に取って代わるのを恐れ、長男を殺させ、別の二人の息子の目をつぶさせた。王子たちは政務や軍務に出されることなく、後宮の中で育てられるようになった。1629年1月19日、カスピ海に近いマーザンダラーンで亡くなったとき、跡を継いだのは孫のサフィーだった。世の中を知らずに育った後継者たちのもとで、王朝はしだいに勢いを失っていく。

それでも、イラン人が「大王」と呼ぶのはこの人である。シーア派の国としてのイランの形、イスファハーンの広場と青いタイルのモスクは、400年後のいまも残っている。