できごと

眼鏡の発明

The invention of eyeglasses
AD1286年頃
重要度 5
シベリアの諸集団キプチャク汗国Touaregイル汗国リャザン公国マムルーク朝ノヴゴロド公国サーミノルウェー神聖ローマ帝国ハフス朝スウェーデンポーランド王国フランス王国English territoryセルジューク朝マクリアカスティーリャ王国東ローマ帝国カネム=ボルヌハンガリー王国ハドラマウトTeutonic KnightsMerinidesアラゴン王国ブルガール可汗国デンマークAbdelouadidesシチリア王国ポルトガルセルビアリトアニア大公国スコットランドヴェネツィア共和国AD1286年頃ピサ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1286年頃の版図を描いています(34勢力)。

概要

1306年、ピサのジョルダーノが説教で述べている。眼鏡が作られるようになってから二十年経たない、自分はそれを作った人物に会って話した、と。名は伏せられている。凸レンズを二枚、革か骨の枠に留め、鼻に載せる。老眼で読み書きができなくなった写字生と学者が、その後も働けるようになった。読む人の労働年数が延びた。凹レンズによる近視の矯正は15世紀である。ヨーロッパでガラスの光学が進んだ背景に、この日用品がある。

場所

ピサ
43.72°N 10.40°E · イタリア

本文

1306年、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で、ドミニコ会の説教師ジョルダーノ・ダ・ピサが説教の中で次のような趣旨のことを語った。眼鏡を作る技が見いだされてから、まだ20年もたっていない。これは世にある技の中でも最も役に立つものの一つである。私は、それを最初に作って見せた人に会い、話をした。

この言葉から、眼鏡が生まれたのは1280年代の半ば、1286年ごろと考えられている。だがジョルダーノは、その人物の名を口にしていない。会って話したと言いながら、なぜ名を伏せたのかは分からない。説教の主題が、人間の技のすばらしさと、それでも神の業には及ばないことにあったので、名前は必要でなかったのだろう、という解釈もある。

視力を矯正する眼鏡
視力を矯正する眼鏡Wikimedia Commons Borlip · CC0

もう一つの手がかりが、ピサのドミニコ会の修道院の年代記に残る、修道士アレッサンドロ・デッラ・スピナ(1313年没)についての記録である。彼は目にしたものは何でも作れる人で、眼鏡を最初に作った人物がその作り方を人に教えようとしなかったとき、自分で作ってみせ、惜しみなく誰にでも作り方を教えた、という趣旨のことが書かれている。最初に作った者は技を秘密にし、スピナがそれを再現して広めたのである。この二つの記録が、眼鏡の始まりについての最も確かな史料であり、発明者の名はおそらく永久に分からない。

ほとんど同じ頃、1300年のヴェネツィアのガラス職人の規則には、読むための目のガラスについての定めが現れる。ムラーノの硝子職人の島へ炉が移された直後のことで、眼鏡のレンズはすでに職人の仕事として作られていた。

イタリア宰相カミッロ・カヴールの肖像。19世紀の眼鏡が描かれている。
イタリア宰相カミッロ・カヴールの肖像。19世紀の眼鏡が描かれている。Wikimedia Commons Antonio Ciseri · Public domain

名の分からない発明者には、のちに名前が与えられた。フィレンツェのある教会には、眼鏡の発明者サルヴィーノ・デッリ・アルマーティここに眠る、1317年没、と刻んだ墓碑があるとされてきた。だが後の研究で、この話は17世紀に作られたもので、そのような人物の記録はほかに無いことが分かっている。

眼鏡には前史がある。11世紀の初め、カイロで研究したイブン・アル=ハイサムは『光学の書』で、光の進み方とレンズの働きを論じた。この本は12世紀から13世紀にかけてラテン語に訳されて広く読まれ、1267年にはイングランドの修道士ロジャー・ベーコンが、球のようなガラスの一部を文字の上に置くと字が大きく見える、と書いている。実際、半球の形をしたガラスや水晶を紙の上に置いて文字を拡大する「読書石」は、すでに使われていた。眼鏡は、そのレンズを二つ枠に留めて鼻に載せたときに生まれた。発想としては単純だが、両手を自由にしたまま読み書きできることが、決定的な違いだった。

『光学の書』に関わる図版:Book of Optics Cover Page
『光学の書』Wikimedia Commons Ibn al-Haytham, Vitello, Friedrich Risner · Public domain

中国でも、眼鏡を指す言葉が古い記録に現れるという説がある。だが確かな記録は15世紀以降のもので、西方から伝わったものと考えられている。それより前から、煙水晶を薄く磨いてまぶしさよけに使うことはあったが、視力を補うためのものではなかった。

最初の眼鏡は、二つの丸い枠を鋲で留めただけのもので、鼻に挟んで使った。耳に掛けるつるが付くのは18世紀になってからである。それまで眼鏡は落ちやすく、帽子に紐で留めたり、耳に紐を掛けたり、手で持ったりして使った。レンズはふくらんだ凸レンズで、老眼を補うためのものだった。人は40代になると、目の中の水晶体が硬くなって近くにピントが合わなくなる。これは誰にでも必ず起きる。近視を補う凹レンズが現れるのは15世紀で、1450年ごろには哲学者ニコラウス・クザーヌスがそれに触れている。

鼻眼鏡の例(人物はヴァルター・ネルンスト)
鼻眼鏡の例(人物はヴァルター・ネルンスト)Wikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

眼鏡が変えたのは、読み書きをする人々の働ける年数だった。修道院の写字生、公証人、学者、商人の帳簿係は、40代で細かい字が読めなくなり、仕事を続けられなくなる。中世の平均寿命は短かったが、40歳まで生きた人はその先も20年ほど生きることが多かった。最も腕の上がった時期に、目のせいで働けなくなっていたのである。眼鏡は、その20年を取り戻した。

その150年あまり後、グーテンベルクの活版印刷によって小さな活字の本が大量に出回るようになる。眼鏡が無ければ、それを読める人はもっと限られていたはずだ。因果を厳密に示すのは難しいが、眼鏡が先にあり、印刷が後から来たことは確かである。

グーテンベルクの活版印刷に関わる図版:Gutenberg press
グーテンベルクの活版印刷Wikimedia Commons International Printing Museum · CC0

眼鏡は日用品として大量に作られ、レンズを磨く職人がヴェネツィア、フィレンツェ、ニュルンベルク、そしてネーデルラントの町々に生まれた。15世紀のニュルンベルクでは眼鏡が大量に作られ、行商人が箱に詰めて売り歩いた。視力を測る方法は無く、客は片端から掛けてみて、いちばんよく見えるものを買った。

1608年、ネーデルラントのミデルブルフの眼鏡職人ハンス・リッペルハイが、遠くのものを大きく見せる筒の特許を願い出た。望遠鏡である。翌年にはガリレオ・ガリレイが自分で望遠鏡を作り、月の山や木星の衛星を見た。顕微鏡もまた、レンズを磨く技の系譜から生まれ、レーウェンフックの微生物につながっていく。近くの字を読むための道具から、遠くを見る道具と小さなものを見る道具が生まれ、それが近代の科学を開いた。

縁無しメガネの例(ドナルド・ラムズフェルド)
縁無しメガネの例(ドナルド・ラムズフェルド)Wikimedia Commons Robert D. Ward · Public domain

なぜ眼鏡はヨーロッパで生まれたのか、という問いがしばしば立てられる。一つの答えは、ヨーロッパ、とくにヴェネツィアが無色透明に近いガラスを作れたことである。中国や日本ではガラスより陶磁器が発達し、筆で書く文字は大きかったので、それほど切実な必要がなかったという見方もある。修道院や大学に、一日中細かい字を読む人々が大勢いたことも挙げられる。ただし、これらは説明の候補であって、証明されたものではない。

16世紀には、眼鏡はヨーロッパ中に行き渡っていた。発明から200年あまりである。それから500年がたったいまも、世界保健機関の推計では、視力を補う手立てが必要なのに得られていない人がおよそ10億人いるとされる。700年前に名も知れない職人が作った道具は、まだすべての人の手に届いてはいない。

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