概要
1306年、ピサのジョルダーノが説教で述べている。眼鏡が作られるようになってから二十年経たない、自分はそれを作った人物に会って話した、と。名は伏せられている。凸レンズを二枚、革か骨の枠に留め、鼻に載せる。老眼で読み書きができなくなった写字生と学者が、その後も働けるようになった。読む人の労働年数が延びた。凹レンズによる近視の矯正は15世紀である。ヨーロッパでガラスの光学が進んだ背景に、この日用品がある。
場所
43.72°N 10.40°E · イタリア
本文
**証言**。
**1306年、フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会**。
**説教師、ジョルダーノ・ダ・ピサ**。
**説教の中で、彼はこう述べた**(要旨)。
**「眼鏡を作る技が見つかってから、まだ二十年も経っていない**。
**世界で最も有用な技の一つである**。
**……**わたしは、それを最初に作り、実際にやってみせた人物に会った。そして、話をした**」**。
(——**つまり、**1286年頃**である。
**そして、**発明者の名は、記されていない**。
〈**なぜ、書かなかったのか**。
**——分からない**。
**「その男に会った」と言いながら、名を出さない**。
**説教の趣旨が、**人間の技の素晴らしさと、それでも神には及ばないこと**にあったから、名前は必要でなかった、という解釈がある**。〉)
**もう一つの記録**。
**同じ修道院の、**アレッサンドロ・デッラ・スピナ**(1313年没)についての記録**。
(**要旨**——**「彼は、見たものは何でも作ることができた。**
**眼鏡が、最初にある人物によって作られ、その人物がその作り方を教えることを望まなかったとき**、
**彼は、自分でそれを作り、**惜しみなく、すべての人に、その作り方を教えた**」**。
——**つまり**。
**最初に作った人物は、**技術を秘密にした**。
**そして、スピナが、**それを再現して、公開した**。
〈**この二つの記録が、**眼鏡の起源についての、最も確かな史料**である**。
**そして、**発明者の名は、**永久に分からない**。〉)
**偽の伝承**。
(**フィレンツェのサンタ・マリア・マッジョーレ教会に、こう刻まれた墓碑があった**。
**「ここに、眼鏡の発明者、フィレンツェのサルヴィーノ・デッリ・アルマーティ、1317年没。神よ、彼の罪を赦したまえ」**。
——**19世紀に、**捏造であることが証明された**。
〈**碑は、17世紀に作られたものである**。
**そして、**そのような人物の記録が、他に無い**。〉)
**中国と、他の地域**。
(**11世紀の中国の記録に、**「靉靆」**(あいたい)という語が現れる**、という説がある**。
——**しかし、**確実な記録は、15世紀以降**である**。
**そして、それは、**西から入ってきたもの**と考えられている**。
〈**ただし、**煙水晶を薄く磨いたものを、まぶしさよけに使った**記録は、古い**。
**——**視力の矯正ではない**。〉
**イスラーム世界**。
〈**イブン・アル=ハイサム『光学の書』**(11世紀)が、**レンズによる拡大**を論じている**。
**そして、それが**ラテン語に訳された**(12〜13世紀)。
——**ロジャー・ベーコン**(1267年)が、**「凸レンズの一部を文字の上に置くと、大きく見える」**と書いた**。
〈**読書石**(reading stone)——**半球形のガラス、あるいは水晶を、紙の上に置く**。
**これは、既に使われていた**。〉
**——眼鏡が発明されたのは、**その「読書石」を、二枚、枠に留めて、鼻に載せた**ときである**。
**〈発想としては、単純である。〉**〉)
**形**。
**リヴェット眼鏡**(rivet spectacles)。
(——**二つの枠を、**鋲**で留めただけ**。
**鼻に、**挟む**。
〈**耳にかける「つる」が付くのは、**18世紀**である**。
**それまで、**眼鏡は、落ちるものだった**。
——**帽子に紐で留める、耳に紐で引っ掛ける、手で持つ**。〉)
**レンズ**。
**最初は、**凸レンズだけ**である**。
(——**老眼**(老視)**の矯正である**。
〈**四十代から、**近くが見えなくなる**。
**水晶体が、**硬くなって、調節できなくなる**。
——**誰にでも、必ず、起きる**。〉
**凹レンズ(近視の矯正)は、**15世紀**である**。
〈**1450年頃のイタリアの絵に、それらしいものが描かれている**。
**そして、**ニコラウス・クザーヌス**が言及している**。〉)
**意味**。
**(1)**読み書きをする人間の、労働年数が延びた**。
(——**中世の写字生、公証人、学者、商人の帳簿係**。
**四十歳で、**仕事ができなくなる**。
**——眼鏡が、**その二十年を、取り戻した**。
〈**中世の平均寿命は短いが、**四十歳まで生きた者は、六十歳前後まで生きることが多い**。
**つまり——**熟練した人間が、最も熟練した時期に、目のせいで働けなくなっていた**。〉)
**(2)そして、**印刷術との関係**。
(——**グーテンベルクの活字は、**小さい**。
**眼鏡が無ければ、**読める人が、限られた**。
〈**因果を厳密に示すのは難しい**。
**しかし、**眼鏡が先にあり、印刷が後に来た**ことは、確かである**。〉)
**(3)**ガラスの光学**。
(——**眼鏡は、**日用品として、大量に作られた**。
**そして、**レンズを磨く職人**が、各地に生まれた**。
〈**ヴェネツィア、ニュルンベルク、そしてネーデルラント**。
**——**望遠鏡が、ネーデルラントの眼鏡職人の工房から出た**のは、偶然ではない**。
**1608年、ミデルブルフのハンス・リッペルハイ**。
**そして、顕微鏡も、同じ系譜である**。〉
**——つまり**。
**「近くを見るための道具」から、「遠くを見る道具」と「小さいものを見る道具」が出た**。
**そして、それが、**近代の科学を作った**。)
**そして、なぜ、ヨーロッパだったのか**。
(——**この問いが、しばしば立てられる**。
**一つの答え**。
〈**ヨーロッパは、**無色透明のガラス**を作れた**。
**——ヴェネツィアの**クリスタッロ**。
**中国と日本では、**ガラスより、陶磁器が発達した**。
**そして、**紙と墨の文字は、大きい**。
**——だから、**必要が、切実ではなかった**。〉
**もう一つ**。
〈**修道院と大学に、**一日中、細かい文字を読む人間が、大量にいた**。〉
**——これらは、**説明の候補であって、証明ではない**。〉)
**規模**。
(**14世紀のヴェネツィアで、**眼鏡職人の組合**が、既にある**。
**15世紀のニュルンベルクで、**大量生産**されていた**。
〈**行商人が、**箱に入れて、売り歩いた**。
**——**視力を測る方法は、無い**。
**客が、**片っ端から掛けてみて、見えるものを買う**。〉
**そして、**16世紀には、ヨーロッパ全域に広がっていた**。
——**発明から、**二百年ほど**である**。)
**いま**。
(**世界で、**視力の矯正を必要としながら、それを得られていない人が、約10億人**とされる**(WHO)。
——**眼鏡は、**七百年前の技術**である**。
**そして、**それが、まだ行き渡っていない**。)