包平
概要
平安時代後期の備前国の刀工で、古備前派を代表する一人。国宝の太刀「大包平」の作者として知られる。
本文
包平は、平安時代後期に備前国(いまの岡山県東南部)で太刀を鍛えた刀工である。生まれた年も亡くなった年も分からない。元暦年間(1184〜1185年)ごろに活躍したとされ、古備前派と呼ばれる初期の備前の刀工の中で、高平・助平とともに「三平」と並び称された。代表作の太刀「大包平」は国宝で、日本刀の最高傑作の一つに数えられる。
包平が生きた平安時代の終わりは、日本刀の形ができあがった時期にあたる。それまでの刀は反りの無い直刀が中心だったが、馬上で振るう武士の戦いが広がるにつれ、鎬(しのぎ)を立て、反りのついた太刀が作られるようになった。源氏と平家が争った時代、刀は武士にとって何より大切な道具だった。備前は、中国山地で採れる砂鉄、炭にする豊かな森、吉井川の水運に恵まれ、のちに長船を中心として日本でいちばん多くの刀を生む土地になる。その最初の世代が古備前派である。鎌倉時代に入ると、同じ備前で福岡一文字派や長船派が栄えるが、それに先立つ平安時代後期から鎌倉時代のはじめごろの備前の刀工をまとめて古備前派と呼んでいる。古備前派には友成や正恒といった名工もおり、その作の多くが国宝や重要文化財に指定されている。刀の茎(なかご)に刀工が自分の名を刻む「銘」の習慣が広まったのもこのころで、作者の名が分かる刀としては、古備前の作はもっとも古い部類に入る。
三平のうち、高平には今に伝わる作が無く、助平も宮内庁にある太刀一振りが知られるだけである。包平の作は比較的多く残っている。ただし包平の銘を持つ刀には、「包平」と二字を小さく切ったものと、「備前国包平作」と長く切ったものがあり、作風にも違いがあることから、包平を名乗った刀工は複数いたと考えられている。後鳥羽天皇の蒲穂丸、源頼朝の簾丸といった名のある太刀も包平の作と伝えられるが、伝承の域を出ない。
大包平は刃の長さ89.2センチ、反り3.5センチ、元の身幅3.7センチの大きな太刀である。身幅が広く、腰のあたりで強く反り、切先は詰まった猪首となる。地鉄は細かな板目がよく詰み、刃文は小乱れを中心に丁子や互の目がまじり、乱れながらも破綻が無い。これほど長く幅の広い太刀なら2キロを超えるのがふつうだが、大包平は重ねを薄く仕上げているため約1.35キロしかない。長さと軽さを両立させた技は、作刀の技術の高さを示すものと評価されている。茎は作られたときのままで、包平としては珍しい「備前国包平作」の長銘が切られている。作風から、包平を名乗った刀工の中でも時代が少し下る人の作と見られている。名の「大」は、包平の作の中でもとりわけ大きく、出来がすぐれていることから付けられたとされる。
大包平は江戸時代を通じて岡山藩主の池田家に伝わった。藩主池田光政が、刀に大金を使うことをいさめる儒学者熊沢蕃山に頼みこんで手に入れた、という逸話があるが、それより前、祖父の池田輝政の代から池田家にあったとする説もあり、伝わった時期ははっきりしない。池田家では、具足始めの儀式のたびに具足とともに飾るなど、家の宝として大切にしてきた。
近代に入ると、大包平は1936年に国の文化財に指定され、1951年に文化財保護法による国宝に指定された。1967年、国が6500万円で池田家から買い上げ、いまは東京国立博物館が所蔵している。天下五剣の一つ「童子切安綱」と並べて、日本刀の「東西の両横綱」と呼ばれることもある。
包平の名は、その人について分かることの少なさに比べて、作った刀の名声があまりに大きい。刀工の名が刀に刻まれ、その刀が八百年以上も大切に伝えられてきたからこそ、平安時代の一人の職人の名が今に残った。近年は刀剣を題材にしたゲームなどを通じて、若い世代にもその名が知られるようになった。