フレデリック・ナイランド
概要
ノルマンディーに降下した米軍の空挺兵。兄3人が死んだと伝えられて本国へ帰され、映画『プライベート・ライアン』のもとになった。
所属
アメリカ合衆国本文
フレデリック・ナイランドは、第二次世界大戦でフランスのノルマンディーに降下したアメリカ陸軍の空挺兵である。4人兄弟のうち3人が相次いで戦死したと伝えられ、ただ1人残った息子として前線から本国へ帰された。この兄弟の話は、1998年のスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『プライベート・ライアン』のもとになった。家族や仲間からはフリッツと呼ばれた。
1920年4月23日、ニューヨーク州トナワンダに生まれた。トナワンダはバッファローの北に接する町である。ナイランド家には4人の息子がいた。長男エドワードは陸軍航空軍の爆撃機の乗員、次男プレストンは第4歩兵師団の少尉、三男ロバートは第82空挺師団の空挺兵、末っ子のフリッツは第101空挺師団第501落下傘歩兵連隊の軍曹となった。
最初の知らせはアジアから来た。1944年5月16日、エドワードの乗ったB-25爆撃機がビルマ(いまのミャンマー)の上空で撃たれた。エドワードはパラシュートで脱出し、ジャングルをさまよったのち日本軍の捕虜になったが、家族には行方不明、戦死とみられるという知らせしか届かなかった。
その3週間後の6月6日、連合軍はノルマンディーに上陸した。前夜から空挺部隊が内陸に降下し、フリッツもロバートもその中にいた。ロバートは6月6日、ヌーヴィル=オー=プランから中隊が退くとき、ドイツ軍の前進を食い止める役に志願して残り、機関銃を撃ちながら戦死した。翌6月7日には、プレストンも海岸近くのクリスベック砲台をめぐる戦いで戦死した。
上陸から9日ほどたったころ、フリッツは兄ロバートに会おうと第82空挺師団を訪ね、そこでロバートの死を知らされた。もう1人の兄プレストンも戦死し、エドワードも行方不明とされていた。4人兄弟のうち生きているのは自分だけだと見られたのである。所属する連隊の従軍司祭フランシス・サンプソンが帰国の手続きに関わったとされ、フリッツは前線を離れてイングランドへ、さらに本国へ送られた。残りの戦争は、ニューヨークで憲兵として務め、のちに青銅星章を受けた。
フリッツは、同じ第101空挺師団の第506落下傘歩兵連隊E中隊のウォーレン・マックやドナルド・マラーキーと親しかった。E中隊は、のちにアンブローズの本とテレビドラマで知られることになる部隊である。マラーキーらの回想にも、兄を捜しに出かけ、その死を知らされて部隊を去ったフリッツの姿が残っている。ノルマンディーの空挺部隊は夜の降下で広い範囲に散らばり、兵たちは知らない土地で寄せ集めの隊を組んで戦っていた。そのなかで別の師団の兄を訪ね歩くこと自体、容易ではなかった。
アメリカでは1942年11月、巡洋艦ジュノーの沈没でサリヴァン家の5人兄弟が一度に死に、大きな衝撃を与えていた。家族の多くを失った兵を前線から外す扱いは、こうした出来事を受けて意識されるようになったもので、フリッツの帰国もその流れの中にある。のちにアメリカ軍は、ただ1人残された息子を危険な任務から外す規則を整えていく。
本国に戻ったフリッツのもとに、思いがけない知らせが届いた。死んだと思われていた長兄エドワードが、ビルマの日本軍の収容所で生きていたのである。エドワードは1945年5月4日に解放され、故郷トナワンダに帰った。4人のうち2人が生きて戦争を終えたことになる。
戦後、フリッツは結婚して2人の娘をもうけ、1983年12月1日にサンフランシスコで63歳で死んだ。兄弟の話は、歴史家スティーヴン・アンブローズの『バンド・オブ・ブラザース』などで紹介され、映画の脚本家の目にとまった。『プライベート・ライアン』のジェームズ・ライアン二等兵は、フリッツをゆるやかな下敷きにした人物である。映画では1人の兵を連れ戻すために小隊が送り込まれるが、実際のフリッツは自分で兄を訪ねて死を知り、手続きによって帰国した。戦場の英雄譚ではなく、一つの家族に戦争が何をもたらしたかを伝える話として、兄弟の名は残っている。