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Person / 人

張作霖

Zhang Zuolin
AD1875年3月19日 – AD1928年6月4日(享年53)
奉天軍閥重要度 4

概要

遼寧の貧農の子。馬賊。日露戦争で日本に使われ、清の軍に入れられ、辛亥で奉天を取った。「東北王」。日本と組み、日本を使い、日本に使われた。1924年、北京を取り、1927年、大元帥。北伐に負けて帰る途中、日本に殺された。息子学良が国民政府についた。「満洲の日本の同盟者を、日本が殺した」。

関わったできごと(2)

張作霖爆殺事件AD1928年6月4日 · 殺された満洲事変AD1931年9月18日 · 3年前に殺された

本文

1875年、遼寧の海城。貧農。父は賭博で殺された。獣医の見習い。1894年、日清戦争で清の軍に入って、除隊。1896年頃、馬賊(保険隊。村を守る代わりに金を取る)。1902年、清の軍に「帰順」して、馬賊を部下のまま新民府の巡防隊に。日露戦争で、初めロシア、のち日本の側で働いた。1911年、辛亥革命で奉天の革命派を鎮圧して、奉天の主に。1916年、奉天督軍。1919年、東三省巡閲使。「東北王」。

満洲。日本(関東州、満鉄、関東軍)とロシア(東清鉄道)の間で、張は日本を使った。日本の借款、日本の武器、日本の顧問。同時に、日本の言うことを聞かなかった。並行線(満鉄と競争する鉄道)、葫芦島の港、奉天兵工廠(東洋一の兵器工場)、東北大学(1923年、息子学良が学長)。

1920年、安直戦争で直隷派と組んで段祺瑞を倒した。1922年、第一次奉直戦争で呉佩孚に負けて、満洲に戻り、「東三省の独立」を宣言した。1924年、第二次奉直戦争。馮玉祥が北京で寝返って(北京政変)、勝った。北京、天津、山東、江蘇まで(部下の郭松齢が1925年に反乱して、日本の関東軍が張を助けた)。1927年6月18日、北京で「中華民国陸海軍大元帥」。中華民国の元首。共産党を弾圧して、李大釗を北京のソ連大使館から引きずり出して、絞首刑にした(1927年4月)。

1928年、北伐。蒋介石、馮玉祥、閻錫山、李宗仁が北京へ。日本は済南で北伐軍と衝突した(済南事件、5月)。田中義一は張に「満洲へ戻れ。北伐軍を満洲に入れない」と伝えた。張は6月3日、北京を出た。

6月4日、皇姑屯。

息子張学良(27歳)。アヘンを吸っていた(後で治した)。12月、易幟。1929年、中東路事件(ソ連の東清鉄道を取ろうとして、ソ連軍に負けた)。1931年9月18日、柳条湖。「不抵抗」。1936年、西安。

張作霖は身長160センチ、口ひげ、女6人、息子8人、娘6人。字は読めたが、あまり書かなかった。「馬賊の頭が元首になった」。中国の歴史で、それは珍しくない。