概要
田舎医者が妻に贈られた顕微鏡で炭疽菌を見た。1882年、結核菌。1883年、コレラ菌。「コッホの原則」。病気が菌で起きることを、菌ごとに証明した。ツベルクリンは治療に失敗した。1905年ノーベル賞。北里柴三郎の師。
関わったできごと(2)
ハンブルクのコレラAD1892年8月 · 調査第三次ペスト大流行1894年 · 細菌学の側本文
コッホ。1843年。ハノーファーのクラウスタール。鉱山技師の13人の子の3番目。 ゲッティンゲン。ヘンレ。「病は生きたものが起こす」。 1866年、医師。 普仏戦争の軍医。 ヴォルシュタイン。ポーゼン。郡の医官。田舎医者。 妻エミーが28歳の誕生日に顕微鏡を贈った。 炭疽。羊。牛。 1876年。炭疽菌の生活環。胞子。「土の中で何年も」。 ブレスラウのコーンに見せた。3日。「これは最大の発見」。 1877年、写真。細菌の顕微鏡写真を最初に。 1880年、ベルリン。帝国衛生局。 寒天。ゼラチンでなく。妻の弟子の妻ヘッセが、ジャムで使っていた。 ペトリ皿。助手ペトリ。 1882年3月24日、ベルリン生理学会。「結核について」。結核菌。 「私は結核菌を見た。染色した。培養した。動物に入れた。病気になった。また取り出した」。 コッホの原則。 「ヨーロッパで7人に1人が結核で死ぬ」。 1883年、エジプト、インド。コレラ菌。パスツールの弟子は見つけられなかった。 「コンマ状」。 「水」。 1885年、ベルリン大学。 1890年、ツベルクリン。「結核の治療薬」。第10回国際医学会。 効かなかった。死者が出た。 「秘密にしていた」。「金のため」。名声が落ちた。 診断には使えた。 1891年、伝染病研究所。北里柴三郎、ベーリング、エールリヒ。 1892年、ハンブルク。 1893年、離婚。ヘートヴィヒ、17歳の女優。50歳。 1896年、南アフリカ。牛疫。 1897年、インド。ペスト。 1898年、マラリア。「蚊」。 1901年、「牛の結核は人にうつらない」。間違い。 1905年、ノーベル賞。 1906年、アフリカ。眠り病。 1908年、日本。北里が迎えた。 1910年5月27日。バーデン・バーデン。66歳。心臓。 パスツールと張り合った。フランスとドイツ。 「細菌学」。パスツールが始めて、コッホが方法を作った。 北里は帰って伝染病研究所を建て、コッホの神社を建てた。 「コッホ祠」。北里研究所の中に、いまも。