概要
ロスアラモスで原爆の開発を率いた。戦後は水爆に反対し、赤狩りのなかで公職を追われる。
所属
アメリカ合衆国関わったできごと(2)
マンハッタン計画AD1942年8月 · 所長トリニティ実験AD1945年7月16日 · 開発を率いた本文
ニューヨークの裕福なユダヤ系の家に生まれた。 ハーバードを3年で出て、ケンブリッジとゲッティンゲンで物理を学び、 20代でカリフォルニアに戻って教えた。 1930年代には左翼の集まりに顔を出している。
1942年、原爆を作る計画の科学部門の長に選ばれた。 研究の実績も管理の経験も、他の候補より薄かった。 選んだ将軍グローヴスは、 野心と、人を惹きつける力を買ったと言っている。
ロスアラモスに数千人を集め、3年で爆弾を作った。 1945年7月、トリニティ実験。8月、広島と長崎。
戦後は原子力委員会の顧問となり、水爆の開発に反対した。 1954年、過去の左翼との関係を理由に機密の資格を剥奪される。 2022年、政府はその決定を取り消した。
『サピエンス全史』は、科学者が国家の資金で兵器を作った例として、 この計画を第14章に置いている。