← 地図で見る
Person / 人

レオン3世(イサウリア朝)

Leo III the Isaurian
AD685年頃 – AD741年6月18日(享年56・推定)
ビザンツ帝国重要度 4

概要

シリアの農民の子。718年、コンスタンティノープルを囲んだアラブ艦隊をギリシア火で焼き、飢えと寒さで退けた。帝国を救った。726年、聖像。「私は皇帝で司祭」。ユダヤ人に強制改宗を命じた。『エクロガ』。息子コンスタンティノス5世が、もっと激しくした。

関わったできごと(2)

コンスタンティノープル包囲とギリシア火717年 · 退けた聖像破壊論争726年 · 始めた皇帝

本文

レオン。コノン。 「イサウリア」。テオファネスが。「シリアのゲルマニケイア(マラシュ)」。 「イサウリア朝」。 「農民」。 「ユスティニアヌス2世が、コーカサスへ送った」。 「アナトリコン」。 「テマの長官」。 717年3月、テオドシオス3世を退けて。 717年8月、マスラマ。8万。1800隻。 「ギリシア火」。 「冬」。「雪」。 「ブルガリアのテルヴェルが、陸で」。 718年8月15日。 「5隻が帰った」。 「コンスタンティノープルは、二度、アラブを退けた。674年と717年」。 「732年のトゥールより、717年」。 「ヨーロッパを守った」。 726年、テラ。 「神の怒り」。「像」。 「カルケー門」。「キリスト像」。 「兵を殺した女たち」。 「ギリシアのテマが、反乱。艦隊。ギリシア火で焼いた」。 730年。「勅令」。 「総主教ゲルマノスが、辞めた」。 「教皇グレゴリウス2世。『皇帝は、教義に口を出すな』」。 「南イタリアとシチリアの税を、教皇から、コンスタンティノープルへ」。 「イリュリクムを、ローマからコンスタンティノープルの下に」。 「東西の裂け目」。 「ダマスコのヨアンネス。ウマイヤの財務官。『像を守る三つの論』。皇帝の手が届かない所で」。 「『エクロガ』。741年。『ユスティニアヌスの法を、より人間的に』。手を切る。鼻を削ぐ。死刑の代わりに」。 「ユダヤ人に洗礼を」。 741年6月18日。 「コンスタンティノス5世」。 「コプロニュモス」。「糞の名」。「洗礼の水で」。 「息子は、754年、ヒエレイアで、公会議。『像は異端』」。 「修道士を殺した」。 「787年、エイレーネ。第2ニカイア」。 「815年、また」。 「843年」。 「レオン3世」。 「皇帝で司祭」。 「彼は、そう言った」。 「彼が言ったのは、教皇への手紙。本当かどうか」。 「なぜ、像を」。 「イスラーム」。「ユダヤ教」。「兵」。「修道院の富」。 「分からない」。 「彼は、帝国を救って、帝国を割った」。 「彼の名は、シリアの。イサウリアでなく」。 「イサウリア朝」。 「テオファネスが、間違えた」。 「間違いが、名前に」。