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Person / 人

ガイセリック

Gaiseric
AD389年頃 – AD477年1月25日(享年88・推定)
ヴァンダル王国重要度 4

概要

足が不自由で、口数が少なく、欲が深かった、とヨルダネス。50年王だった。スペインからアフリカへ、カルタゴ、シチリア、サルデーニャ、ローマ略奪。皇帝の未亡人と娘を連れ帰った。ローマとビザンツの艦隊を二度焼いた。アリウス派。死ぬまで負けなかった。

所属

ヴァンダル王国

関わったできごと(2)

ガイセリックのカルタゴ占領AD439年10月19日 · 王ヴァンダルのローマ略奪AD455年 · 王

本文

ガイセリック。ゲンセリック。ガイザリクス。 「槍の王」。 ゴディギセルの庶子。 428年、兄グンデリックが死んだ。王。 429年5月、ジブラルタル。 「8万」。ウィクトル・ウィテンシス。「女と子供を含めて」。 「船が足りず、ボニファティウスが」。 ヒッポ。 439年、カルタゴ。 442年、ウァレンティニアヌス3世と。「アフリカ・プロコンスラリス、ビザケナ、ヌミディアの一部」。 息子フネリックを人質に。「皇帝の娘エウドキアと婚約」。フネリックの妻は西ゴートの娘だった。「毒を盛った」と言って、耳と鼻を切って父に送り返した。 455年、ローマ。14日。 エウドクシア、エウドキア、プラキディア。エウドキアはフネリックの妻に。プラキディアはあとでコンスタンティノープルへ。 「レオが止めた」。 460年、マヨリアヌスの艦隊。カルタヘナ。 468年、レオ1世の艦隊。バシリスクス。1100隻。ボン岬。火船。「10万ポンドの金」。 474年、ゼノンと和した。 477年1月25日。「88歳」。 「足が不自由、口数が少ない、贅沢を嫌い、怒りが激しく、民を引きつけ、種を蒔く」。ヨルダネス。 「アリウス派」。カトリックの司教を島に。教会を取った。「殉教者」。ウィクトル・ウィテンシス『ヴァンダル迫害史』。 「彼が死んで、フネリックは、もっとひどかった」。 「相続法」。「王家の最年長の男が王に」。息子でなく。それで王家が争い続けた。 533年、ゲリメル。 「ヴァンダル王国は、王が死ぬまでは強く、死んでから弱かった」。 「ガイセリックは50年、負けなかった」。 「彼が海を取って、西ローマは穀物と税を失い、終わった」。 「アッティラより、彼が」。 そう言う歴史家が増えた。 チュニスの湾に、彼の船が沈んでいる。