概要
バルメンの紡績工場主の長男。マンチェスターの父の工場で働きながら『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いた。マルクスと40年。生活費を送り続けた。「私は第二ヴァイオリンだった」。『反デューリング論』『家族・私有財産・国家の起源』。マルクスの死後、『資本論』第2巻と第3巻を編集した。狐狩りが好きだった。
関わったできごと(2)
『共産党宣言』AD1848年2月21日 · 書いた『資本論』AD1867年9月14日 · 2・3巻を編集本文
1820年、バルメン(ヴッパータール)。紡績工場主の長男。敬虔なプロテスタント。父は息子に工場を継がせるつもりで、ギムナジウムを途中で辞めさせて、ブレーメンの商社に修行に出した。エンゲルスは商売を学びながら、青年ヘーゲル派を読んで、匿名で記事を書いた。
1842年、父の共同経営の工場があるマンチェスターへ。労働者の街を歩いた。アイルランド人の女工メアリー・バーンズと暮らした(結婚せず、彼女が1863年に死ぬまで。その後、妹のリジー・バーンズと。リジーとは死の前日に結婚した)。1845年、『イギリスにおける労働者階級の状態』。
1844年、パリでマルクスと10日話した。「全ての理論的分野で完全に一致した」。『聖家族』『ドイツ・イデオロギー』『共産党宣言』。1848年、ケルンで『新ライン新聞』。バーデンの蜂起で戦った。「将軍」。
1850年から1870年、マンチェスターの工場で働いた。マルクスに金を送った。20年。「私は君のために商売の犬になる」。1870年、工場の持ち分を売って、ロンドンへ。マルクスの近くに住んだ。
『反デューリング論』(1878年。マルクス主義の体系的な説明。「空想から科学へ」はその抜粋)、『自然の弁証法』(未完)、『家族・私有財産・国家の起源』(1884年。モーガンの人類学から。母権制、一夫一婦制と私有財産)、『フォイエルバッハ論』(1888年)。
1883年、マルクスが死んだ。エンゲルスが『資本論』の第2巻(1885年)と第3巻(1894年)を編集した。マルクスの筆跡を読めるのは彼だけだった。第二インターナショナルの助言者。
1895年8月5日、喉頭癌。遺灰はイーストボーンの海に撒かれた。
「私は第二ヴァイオリンを弾いた。マルクスは天才で、我々はせいぜい才能があった」。近年は、エンゲルスがマルクス主義を「科学」にしすぎた、と言う人もいる。