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Person / 人

エメリン・パンクハースト

Emmeline Pankhurst
AD1858年7月15日 – AD1928年6月14日(享年69)
イギリス重要度 5

概要

マンチェスターの綿商の家。14歳で参政権の集会に連れて行かれた。弁護士の夫と死別して、貧民の出生と死亡の登録係として働き、救貧院の女たちを見た。1903年、女性社会政治同盟。「言葉でなく行動を」。窓ガラス、放火、投獄13回、ハンガー・ストライキ。1914年、戦争が始まると運動を止めて、政府に協力した。1928年6月、21歳以上の女性の選挙権が成立する3週間前に死んだ。

関わったできごと(2)

ニュージーランドの女性参政権AD1893年9月19日 · 率いたイギリスの女性参政権運動1903年 · 率いた

本文

1858年7月15日(本人は7月14日、バスティーユの日に生まれたと信じていた)、マンチェスター。ゴールトン家。父は綿工場を持ち、母はマン島の出身。両親は奴隷制廃止と、女性参政権の支持者だった。

14歳、母に連れられて参政権の集会へ。「私は、意識的な参政権論者として、その部屋を出た」。両親が、兄弟の教育には金をかけ、娘には「よい妻になる」ための教育を与えることに、気づいていた。ある夜、寝たふりをしていると、父が枕元で言った。「かわいそうに。この子が男の子でなかったとは」。

1878年、リチャード・パンクハースト(弁護士、20歳以上年上、女性参政権の法案の起草者、既婚女性財産法の起草者)と結婚。子はクリスタベル、シルヴィア、フランク(4歳で死んだ)、アデラ、ハリー。夫は「あなたは、私の妻であることに、自分を失わせてはならない」と言った。

1889年、女性フランチャイズ連盟。1894年、出生・死亡登録官(オールドハムとマンチェスターの貧しい地区)。仕事で、女たちの家に入った。「私は、13歳で父親の子を産んだ少女を登録した。救貧院の女たちが、床を磨きながら、出産の直前まで働かされているのを見た」。救貧法の理事にもなった。

1898年、夫が死んだ。40歳、4人の子、借金。店を開き、登録官の仕事を続けた。

1903年10月10日、マンチェスターのネルソン街62番地の自宅の居間。6人(ほとんどが労働党の女性)。女性社会政治同盟(WSPU)。「言葉でなく行動を」。会員は女性のみ。既存の団体(NUWSS)が50年、請願を続けて何も得られなかったことへの苛立ち。

1905年、クリスタベルとアニー・ケニーが自由党の集会で叫んで、逮捕された。1906年、ロンドンへ拠点を移した。1908年、ハイド・パークの集会に25万人(当時のイギリス最大の集会)。

エスカレーション。1908年、閣僚の家の窓。1909年、ハンガー・ストライキ(最初はマリオン・ウォレス・ダンロップ。91時間で釈放された)。政府が強制摂食で応じた。1910年11月18日、「ブラック・フライデー」。300人の女が議会へ行進し、6時間、警官と群衆に殴られ、服を裂かれ、体を触られた。2人が後に死んだ。1912年3月、ロンドン中心部の商店の窓を一斉に割った。1913年、放火(空き家、鉄道の駅、教会、ゴルフ場の芝に酸で「投票を女性に」と焼いた)。爆薬(ロイド・ジョージの建築中の別荘)。

エメリン自身、13回投獄された。1913年、ロイド・ジョージの別荘の爆破で、3年の刑。法廷で言った。「私は、法を破ろうとしてここにいるのではありません。法を作る者になろうとしているのです」。獄で10回、ハンガー・ストライキとサースト・ストライキ(水も断つ)をした。「猫と鼠法」で、衰弱して出され、回復して戻された。1913年から1914年の1年で、彼女は10回、出入りした。

分裂。1912年、ペシック=ローレンス夫妻(資金と組織の中心)が、暴力の激化に反対して追放された。1914年、次女シルヴィア(ロンドンのイースト・エンドで労働者の女たちと組織していた)が、社会主義との関係と、労働党との協力を理由に、母と姉から切り離された。三女アデラはオーストラリアへ送られ、生涯、母に会わなかった。

1914年8月4日、開戦。エメリンとクリスタベルは、その週のうちに闘争を停止した。政府は投獄されていた女性を釈放した。彼女たちは徴兵と軍需生産の運動に転じた。1915年、「働く権利」の行進(3万人)。白い羽根(臆病者の印)を、制服を着ていない男に配った。

戦後。1918年、代表法。エメリンは保守党に入り(労働党と社会主義を敵と考えるようになっていた)、1927年、ステップニーから立候補を予定した。健康が尽きた。

1928年6月14日、死んだ。69歳。3週間後の7月2日、21歳以上の全ての女性に選挙権を与える法が、成立した。

1930年、ウェストミンスターのヴィクトリア・タワー・ガーデンズに、彼女の像が立った。除幕の日、元WSPUの女たちが、囚人服を模した服で並んだ。

2018年、マンチェスターに、シルヴィアでもクリスタベルでもなく、彼女の像が立った。マンチェスターで100年ぶりに立った、女性の像だった。