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Person / 人

荘子

Zhuangzi
BC369年頃 – BC286年頃(享年83・推定)
戦国時代重要度 5

概要

荘周。宋の蒙。漆園の吏。恵施(名家)が友人で、論争の相手。「魚の楽しみ」(「君は魚でないのに、どうして魚の楽しみが分かる」「君は私でないのに、どうして私が魚の楽しみを分からないと分かる」)。恵施が死んで、「私には語る相手がいなくなった」。楚王の招きを断った。「万物斉同」。「逍遥遊」。大鵬。「無為」。死を恐れなかった。「天地を棺にして、日月を璧にする。何を足す必要があるか」。

関わったできごと(1)

『荘子』BC300年頃 · 著者

本文

荘周。『史記』老子韓非列伝の中に、200字ほど。「荘子は蒙の人。名は周。周は嘗て蒙の漆園の吏たり。梁の恵王、斉の宣王と同時なり。その学は窺わざる所なし。しかしその要は老子の言に帰す。その著書10余万言、大抵は寓言なり。……その言は洸洋自恣にして以て己を適す。故に王公大人より之を器とすること能わず」。

宋の蒙(河南の商丘の東北、または安徽の蒙城)。漆園(漆の木の園)の下級役人。BC369年頃〜BC286年頃、と推定される。孟子(BC372〜289年頃)と同時代で、二人は互いを一度も言及しない。

楚の威王が、荘周が賢いと聞いて、千金を持たせた使者2人を送って、宰相に招いた。荘周は笑って言った。「千金は重い利で、宰相は尊い位だ。しかし、あなたは郊外の祭りの犠牲の牛を見たことがないか。何年も養われ、刺繍の衣を着せられ、そして太廟に引かれて行く。その時になって、小さな豚になりたいと思っても、できるか。帰ってくれ。私を汚すな。私は、汚れた溝の中で自分を楽しませるほうがよい。国を持つ者に縛られたくない。生涯、官職につかず、私の心を快くしていたい」(『史記』)。

『秋水篇』に、別の形。楚王の使者2人が濮水のほとりで釣りをしている荘子に来た。「王は国のことをあなたに任せたいと」。荘子は竿を持ったまま、振り返らずに言った。「楚には神亀がいて、死んで3000年、王は布に包んで箱に入れて廟に納めていると聞く。この亀は、死んで骨を留めて尊ばれたかったか、生きて泥の中で尾を引きずりたかったか」。「生きて泥の中で尾を引きずりたかったでしょう」。「行け。私は泥の中で尾を引きずる」。

恵施(恵子)。名家の論客、魏の宰相。友人で、論敵。「魚の楽しみ」(濠水の橋の上。「鯈魚が出て遊んでいる。これが魚の楽しみだ」「君は魚でない。どうして魚の楽しみが分かる」「君は私でない。どうして私が魚の楽しみを知らないと分かる」「私は君でないから、君を知らない。君は魚でないから、魚を知らない。それで完結だ」「初めに戻ろう。君は『どうして魚の楽しみが分かる』と言った。分かっていると知って聞いたのだ。私は濠水の上で知った」)。恵施が死んで、荘子は葬列を通り過ぎながら弟子に言った。「郢の人が鼻の先に蠅の羽のような漆喰を塗って、匠石に削らせた。匠石は斧を風のように振って削り、漆喰は落ちて、鼻は傷つかなかった。……その郢人が死んでから、私には、腕を振るう相手がいない。私も、あの人が死んでから、語る相手がいない」。

荘子の妻が死んで、恵子が弔いに行った。荘子は足を投げ出して座り、盆を叩いて歌っていた。

荘子が死のうとして、弟子が手厚い葬儀を望んだ。「私は天地を棺とし、日月を璧とし、星を珠とし、万物を副葬とする。私の葬具は備わっている。何を足すのか」。「鴉や鳶に食われるのが心配です」。「上では鴉と鳶に食われ、下では螻蟻に食われる。あちらから取ってこちらにやるのは、なんと偏っている」。

内篇7篇。逍遥遊、斉物論、養生主、人間世、徳充符、大宗師、応帝王。外篇15、雑篇11(弟子と、後の道家、黄老、そして荘子と違う立場の人の文も混ざる。「盗跖篇」は孔子を罵倒する)。西晋の郭象(AD252〜312年)が52篇(『漢書』芸文志)から33篇にして注をつけた。「郭象は向秀の注を盗んだ」と『世説新語』。

「万物斉同」。是と非、大と小、生と死、美と醜は、見る位置による。道から見れば一つ。「道は通じて一と為す」。「至人は己なく、神人は功なく、聖人は名なし」。「心斎」「坐忘」(「手足と体を捨て、耳目を追い出し、形を離れ、知を去って、大通に同ずる」)。

読まれ方。漢初の黄老。魏晋の玄学と竹林の七賢(阮籍、嵆康)。仏教が中国に来たとき、「格義」(『荘子』の言葉で空を訳した)。禅(「不立文字」「日々是好日」)。唐の詩(李白)。宋の詩と画(蘇軾)。明の李贄。日本の五山、芭蕉(「造化にしたがひ、造化にかへれ」)、良寛。20世紀、リンユータン、ハイデガー(『荘子』を読んだ)、そして1960年代のアメリカ(アラン・ワッツ、トマス・マートン)。

「荘周が夢で蝶になったのか、蝶が夢で荘周になったのか」。