概要
雲南のムスリムの家に生まれ、少年で去勢されて宮廷に入り、七度の大航海を率いた。旗艦はコロンブスのサンタ・マリア号の数倍あったとされる。
所属
明関わったできごと(1)
鄭和の南海遠征1405年 · 総指揮本文
雲南のムスリムの家に生まれた。明軍が雲南を攻めたとき 少年で捕らえられ、去勢されて宮廷に入っている。
燕王(のちの永楽帝)に仕え、甥から帝位を奪う戦いで功を立てた。 帝は彼に艦隊を任せる。ムスリムであることは、 インド洋のイスラーム圏を回るうえで有利に働いた。
七度の航海のうち、六度は永楽帝の下、最後の一度は宣徳帝の下。 その最後の航海の途上か直後に死んだとされ、 インド洋で水葬にされたという説と、南京に葬られたという説がある。
雲南の彼の家には、メッカへ巡礼した父の碑がある。 父の行けた場所より、はるかに遠くまで行った。