概要
袁紹の従弟で、嫡出。「四世三公」の家。董卓のあと南陽から淮南へ。孫堅と孫策を使った。伝国の璽。皇帝。誰も従わなかった。兵糧が尽き、袁紹の所へ行こうとして道を塞がれ、蜂蜜の水を求めて「血の水しかない」と言われ、「私がこうなるとは」と叫んで血を吐いた。
関わったできごと(1)
袁術の皇帝僭称AD197年 · 皇帝を名乗った本文
袁術。公路。汝南汝陽。 「四世三公」。曾祖父袁安から、四代に五人の三公。 袁逢の子。袁紹は袁逢の庶子で、伯父袁成の養子。 「袁紹は我が家の奴隷」。 虎賁中郎将。後将軍。 董卓を避けて南陽。孫堅。 191年、孫堅が洛陽を取って、董卓が長安へ。孫堅は袁術のために戦った。 「袁術は孫堅の兵糧を止めた」。孫堅が「私が袁術のために董卓と戦っているのに」。 袁紹と争った。袁紹は劉虞を皇帝に立てようとして、袁術は反対した。「私が皇帝になりたいから」と袁紹は思った。 193年、曹操に負けた。淮南。 195年、劉備と徐州を争った。呂布に劉備を襲わせた。 197年、皇帝。「仲」。 198年、呂布の娘を求めた。陳珪が止めた。攻めて、負けた。 199年、蜂蜜。 「私がこうなるとは」。 「袁術がここまでとは」。
「僭号」。 帝位を名乗った者は、董卓の時代から三国の終わりまで、彼と、曹丕と、劉備と、孫権。 曹丕は禅譲を待った。劉備は献帝の死を言った。孫権は8年待った。 袁術は待たなかった。 「讖」。「当塗高」。「私の字は公路。塗は路」。 陳寿。「袁術は奢淫。天命を妄想した」。 「彼が璽を持っていたことが、彼を狂わせた」。 璽は袁紹に、袁紹から曹操に、曹操から曹丕に。 演義では「愚か者」。 だが「四世三公」の嫡子で、190年代の前半は、群雄の中で最も大きな勢力だった。 195年に劉備を徐州から追ったのも、呂布を養ったのも、孫策を放ったのも彼。 「三国志で最初に皇帝になった男」。 2年で死んだ。