人物

ウォーレス・カロザース

Wallace Carothers
AD1896年4月27日 – AD1937年4月29日(享年41)
アメリカ合衆国重要度 4

概要

アイオワの生まれ。商業学校の教師の子で、化学を独学に近い形で修め、イリノイ大学で学位を得た。ハーヴァードで教えていたところをデュポンに招かれ、基礎研究の部門を率いた。高分子が長い鎖であることを合成によって示し、ネオプレンとナイロンを生んだ。若い頃から重いうつを繰り返し、青酸カリのカプセルを常に持ち歩いていた。妹の死の後、ホテルの一室でそれを飲んだ。四十一歳。娘が生まれたのは、その七か月後である。

所属

アメリカ合衆国

関わったできごと(1)

ナイロンAD1935年2月28日 · 合成した

本文

ウォーレス・ヒューム・カロザースは1896年4月27日、アイオワ州バーリントンに生まれた。父は商業学校の教師で、のちにその学校の運営にも携わった。父は息子に、簿記や速記といった実際に役立つ技能を身につけさせようとし、カロザースも父の学校で学んだ。だが彼の心をとらえたのは化学だった。

ミズーリ州の小さな大学タルキオ・カレッジに進むと、第一次世界大戦で化学の教師が大学を去り、まだ学生だったカロザースが代わりに化学の授業を受け持った。学位を取る前から、彼は教える側に立っていたのである。その後イリノイ大学で修士と博士の学位を取り、イリノイとハーヴァードで教えた。

第一次世界大戦に関わる図版:Bataille de Verdun 1916
第一次世界大戦Wikimedia Commons Collection DocAnciens/docpix.fr · Public domain

1928年、化学会社デュポンが彼を招いた。会社は、すぐに製品に結びつかなくてもよい基礎の研究をする部門を新しく作ろうとしていた。好きなことを研究してよく、予算も惜しまないという条件だった。当時の企業としては極めて珍しい試みである。カロザースははじめ、この申し出を断った。自分は神経の不調に悩まされてきたので、企業の仕事には向かないかもしれない、という趣旨の手紙が残っている。それでもデュポンは彼を迎えた。

当時の化学者たちは、ゴムや絹、セルロースのような物質の正体をめぐって争っていた。ドイツのシュタウディンガーは、これらは小さな分子が何千、何万とつながった巨大な鎖、つまり高分子だと主張していたが、小さな分子が寄り集まった塊にすぎないと考える学者も多かった。カロザースは、作って示すという道を選んだ。構造のはっきりした小さな分子を、狙いどおりに次々とつないでいく。そうしてできたものが高分子の性質を持つことを確かめれば、高分子が長い鎖であることの証拠になる。彼の一連の論文は、高分子の化学の土台になった。分子どうしが水などを放しながらつながる反応と、そのまま次々に連なる反応とを、はっきり分けて整理したのも彼である。

研究は製品も生んだ。1930年、彼の研究室から油に強い合成ゴムが生まれ、のちにネオプレンの名で売り出された。第二次世界大戦で日本軍が東南アジアを押さえ、天然ゴムの供給が断たれると、合成ゴムは決定的に重要な材料になった。そして1935年2月、彼の研究室は、溶かして引き伸ばすと細く強い糸になる新しい高分子を作り出した。これがナイロンである(ナイロン)。

しかし、彼の心はしだいに深い闇に沈んでいった。若いころから憂うつの波を繰り返していたが、1930年代に入ってそれが重くなり、1934年には精神科の施設に入院している。1936年、産業界の化学者として初めて全米科学アカデミーの会員に選ばれ、同じ年、デュポンの同僚だったヘレン・スウィートマンと結婚した。外から見れば、絶頂の時期だった。

1937年1月、最も仲のよかった妹イゾベルが、肺炎で急死した。シカゴでラジオの人気番組に出ていた歌い手で、カロザースは彼女を深く慕っていた。葬儀のあと、彼は崩れた。同僚たちは、彼がもう新しいものは何も生み出せないという思いに取りつかれていたと証言している。ナイロンを作り出したあとで、である。

1937年4月29日、41歳の誕生日の2日後、カロザースはフィラデルフィアのホテルの一室で、青酸カリをレモンの汁に溶かして飲み、死んだ。彼はいつも、毒の入ったカプセルを身につけて持ち歩いていたと、同僚がのちに語っている。妻は身ごもっていた。7か月後の11月27日、娘ジェーンが生まれた。

デュポンがナイロンを公表したのは1938年10月で、ナイロンの靴下がアメリカで売り出されたのは1940年5月のことである。店の前に女性たちが長い列を作り、初日だけで何百万足も売れたと伝えられる。戦争が始まると、ナイロンは落下傘や綱に回され、靴下は店から消えた。ナイロンはデュポンに莫大な利益をもたらし、絹に頼っていた世界の繊維の地図を塗り替えたが、会社の宣伝でカロザースの名が前に出ることはほとんどなかった。

彼はノーベル賞を受けていない。ノーベル賞は生きている人にしか与えられない。高分子の考えを打ち立てたシュタウディンガーが化学賞を受けたのは1953年で、カロザースが生きていれば、ともに受けていた可能性が高いとしばしば言われる。

いま、私たちの身の回りは、彼が作って示した長い鎖の分子であふれている。衣服、ロープ、歯ブラシ、車の部品。合成の高分子の時代は、自分の仕事の価値を最後まで信じきれなかった一人の化学者の研究室から始まったのである。

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