概要
ライプツィヒ。1849年のドレスデン蜂起に加わって指名手配され、12年、スイスとパリに亡命した。借金から逃げ、他人の妻を奪い(リストの娘コジマ、指揮者ビューローの妻)、反ユダヤの文章を書いた。同時に、台本と音楽と演出と劇場を、一人で構想した。『トリスタンとイゾルデ』の和音が、調性の限界を開いた。1864年、18歳のバイエルン王ルートヴィヒ2世が現れて、全部の借金を払った。
関わったできごと(1)
バイロイトと『指環』AD1876年8月13日 · 建てた本文
1813年5月22日、ライプツィヒ。父カール・フリードリヒは警察の書記で、生後6か月で死んだ(チフス)。母ヨハンナは翌年、俳優で画家のルートヴィヒ・ガイヤーと再婚した。ガイヤーは9歳のとき死んだ。ワーグナー自身、ガイヤーが実父ではないかと疑い、ガイヤーがユダヤ人ではないかとも疑った(実際にはユダヤ人ではない)。この疑いが、彼の反ユダヤ主義と関係している、という解釈がある。
15歳でベートーヴェンの第九を知り、写譜した。ライプツィヒ大学(1831年)、そして聖トマス教会のカントル、ヴァインリヒに6か月、対位法を習った。それが正式な音楽の教育の全部。
1833年から、地方の劇場の合唱指揮者と楽長。ヴュルツブルク、マクデブルク、ケーニヒスベルク、リガ。借金。1836年、女優ミンナ・プラナーと結婚(不幸な結婚だった。彼女は彼の音楽を理解せず、彼は繰り返し他の女性に向かった)。
1839年、リガの債権者から逃げて、船でロンドンへ(嵐に遭い、その体験が『さまよえるオランダ人』になった)。パリ、3年。貧困。楽譜の写しと、他人のオペラの編曲で食いつないだ。
1842年、ドレスデン。『リエンツィ』の成功で、ザクセン宮廷歌劇場の楽長になった。『オランダ人』(1843年)、『タンホイザー』(1845年)、『ローエングリン』(完成1848年)。
1849年5月、ドレスデン蜂起。彼は参加した(バリケードに立ち、手榴弾の調達に関わった、という記録がある)。鎮圧され、指名手配。リストの助けでスイスへ逃げた。以後12年、亡命。
チューリヒで、理論を書いた。『芸術と革命』『未来の芸術作品』『オペラとドラマ』。そして『音楽におけるユダヤ性』(1850年、匿名。後に実名で再刊)。メンデルスゾーンとマイアベーアを名指しして、ユダヤ人には創造性がないと論じた。この文章は、彼の生涯にわたる汚点であり、20世紀の受容を決定的に歪めた。
『ニーベルングの指環』。1848年に散文の草稿。4部の台本を、逆の順序(結末から)で書いた。1853年から作曲。1857年、『ジークフリート』の第2幕で中断(12年)。
中断の間に、『トリスタンとイゾルデ』(1859年)。冒頭の「トリスタン和音」が、どの調にも属さないまま宙吊りになる。調性の限界を開いた、と言われる。作曲の背景に、パトロンの妻マティルデ・ヴェーゼンドンクへの感情があった。
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1867年)。唯一の喜劇。
1864年、破産と借金で逃げ回っていたところへ、即位したばかりのバイエルン王ルートヴィヒ2世(18歳)の使者が来た。王は彼の作品に心酔していた。借金を全部払い、年金を与え、ミュンヘンに住まわせた。宮廷と市民の反発で、翌年、ミュンヘンを追われた(王の支援は続いた)。
コジマ。リストと、その愛人ダグー伯爵夫人の娘。指揮者ハンス・フォン・ビューロー(ワーグナーの熱烈な支持者で、『トリスタン』を初演した)の妻。1863年から関係が始まり、3人の子を産んだ(イゾルデ、エーファ、ジークフリート)。ビューローは、それを知りながら、ワーグナーの作品を指揮し続けた。1870年、離婚が成立して、二人は結婚した。
1876年、バイロイト。1882年、『パルジファル』。
1883年2月13日、ヴェネツィアのヴェンドラミン宮で、心臓発作。69歳。遺体はバイロイトのヴァーンフリート荘の庭に葬られた。
音楽。無限旋律(終止で区切らずに続く)。ライトモティーフ(人物と物と観念に旋律を与え、それを変形し、重ねる。物語の裏で、音が語る)。半音階の和声。巨大な管弦楽(ワーグナー・テューバを作らせた)。
影響。ブルックナー、マーラー、シェーンベルク(無調は『トリスタン』の延長にある)、ドビュッシー(反発しながら影響された)、映画音楽(ライトモティーフの手法は、そのままハリウッドへ)。
その後。バイロイトはコジマ(1930年死)、息子ジークフリート、その妻ヴィニフレート(イギリス生まれ。ヒトラーの熱烈な友人で、彼を「ヴォルフ」と呼び、家に招いた)が運営した。ヒトラーはワーグナーを国家の象徴にした。イスラエルでは、長く、公の場で演奏されなかった(2001年、バレンボイムがアンコールで『トリスタン』を演奏して、議論になった)。
「彼の音楽は、彼の思想より良い」とも、「切り離せない」とも言われ続けている。