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Person / 人

ウィトルウィウス

Vitruvius
BC80年頃 – BC15年頃(享年65・推定)
ローマ重要度 3

概要

カエサルの軍の技師で、アウグストゥスに『建築十書』を献じた。建築は「強・用・美」を備えよ、と。人体の比例を円と正方形に収める記述を、レオナルドが絵にした。

所属

ローマ

関わったできごと(1)

ウィトルウィウス『建築十書』BC25年頃 · 著者

本文

生まれた年も場所も、確かではない。 ファーノとも、ヴェローナとも。 名前もマルクス・ウィトルウィウス・ポッリオが確かか、 「ポッリオ」は別人の名が混じったのか、分からない。

自分で書いていることだけ。 カエサルの下で、投石機と弩砲を作った。 アウグストゥスの下で、同じ仕事を続けた。 オクタウィアがアウグストゥスに推薦してくれて、年金を得た。 「私は背が低く、老いて醜く、病弱だ」。 「だから名声ではなく、この本で残りたい」。

ファヌムにバシリカを建てた。 第5巻に自分で設計を書いた。 ローマの水道について、第8巻。 鉛管は有害だと書いた。 「鉛の工場で働く者の顔色を見よ」。 その通りで、19世紀まで誰も気にしなかった。

第1巻。 建築家は文章が書け、絵が描け、 幾何、歴史、哲学、音楽、医学、法律、天文を知るべきだ。 音楽は投石機の弦の張りを耳で確かめるため。 医学は土地の健康を判断するため。

10巻は、アウグストゥスが多くの建物を建てると聞いて、 献じた。 BC30年からBC20年の間。 実際にアウグストゥスがこれを読んだか、分からない。 アウグストゥス時代の建築家が、この本を使った形跡はない。 ギリシアの神殿の理論書で、 ローマの新しいコンクリートとアーチのことは、ほとんど書いていない。

同時代には、ほとんど引用されなかった。 大プリニウスが引いた。 中世に写本が写され続け、 1414年、再発見。 1486年、印刷。 以後、建築の書と言えば、これになった。 自分のために建てた建物は一つもなく、 理論の本だけで、2000年残った。