概要
越後守護代長尾為景の子。長尾景虎。兄を退けて19歳で越後を取り、上杉憲政から関東管領と上杉の名を譲られた。毘沙門天の化身と称し、生涯結婚しなかった。川中島、小田原、手取川で信長を破って、上洛の準備中に厠で倒れた。48歳。「義」の人と言われ、酒を飲みすぎた。敵の信玄に塩を送った話は江戸時代の作。
所属
上杉氏関わったできごと(1)
川中島の戦いAD1561年10月18日(永禄4年9月10日) · 斬りつけた本文
長尾景虎。1530年、越後の春日山城。守護代長尾為景の四男(三男とも)。父は戦い続けて、1536年、死んだ。景虎は7歳で林泉寺に預けられ、禅を学んだ。
兄晴景が守護代。弱かった。景虎は15歳で栃尾城に入って、初陣で勝った。1548年、19歳で兄を退けて(守護上杉定実の仲介)、家督。1551年、越後を統一した。
信濃の村上義清と、関東の上杉憲政が、逃げて来た。景虎は両方を助けた。川中島。関東。1559年、上洛して将軍義輝と正親町天皇に会った。1561年、鎌倉の鶴岡八幡宮で、憲政から関東管領と上杉の名を譲られた。上杉政虎。将軍の一字で輝虎。1570年、出家して謙信。
毘沙門天。「毘」の旗。自分は毘沙門天の化身だと信じた。妻を娶らなかった。子はなく、養子の景勝(姉の子)と景虎(北条氏康の子)を取り、死後、二人が争った(御館の乱)。
1577年、手取川で信長の軍(柴田勝家)を破った。「上杉に逢うては織田も手取川、はねる謙信、逃げるとぶ長」。1578年3月、上洛の準備の途中、春日山城の厠で倒れた。脳卒中。48歳。酒。「四十九年一睡の夢、一期の栄華一杯の酒」。
「義」の人。関東に14回出兵して、領地を取らずに帰った。塩止めされた武田に塩を送った、は江戸時代の作り話。しかし、上杉が塩止めをしなかったのは本当らしい。
米沢の上杉神社。「敵に塩を送る」の言葉が残った。