概要
家康の孫、水戸藩2代。18歳で『史記』の伯夷伝を読んで志を立てた、と言う。『大日本史』。朱舜水。兄の子を跡継ぎにして、自分の子を兄の家に。ラーメンを日本で最初に食べた、と言われる。「水戸黄門」の漫遊は講談で、関東から出たことがない。「梅里」。
関わったできごと(1)
『大日本史』の編纂開始AD1657年(明暦3年) · 始めた本文
1628年、水戸。水戸藩初代徳川頼房(家康の11男)の三男。母は側室で、頼房は堕胎を命じ、家臣が隠して産ませた、と伝える。1633年、兄頼重(長男)を差し置いて、世子。
若い頃、遊び、吉原に行き、辻斬りをした、と自分で書いた(辻斬りは確かでない)。18歳、『史記』の伯夷伝。「兄を差し置いて」を恥じた。兄頼重の子(綱條)を跡継ぎにし、自分の子(頼常)を頼重の高松藩に養子に出した。
1657年、『大日本史』。1661年、藩主。1665年、朱舜水を招いた。舜水は明の遺臣で、清に抵抗して日本に亡命した儒者。舜水が水戸に礼、農業、建築(後楽園の設計)、そしてラーメン(中華麺)を教えた、と伝える。光圀が日本で最初にラーメンを食べた、と言う。
殉死の禁止(幕府より先に)。寺社の整理(1000以上の寺を潰した)。笠原水道(水戸の上水)。蝦夷地の探検(1688年、快風丸を石狩へ)。那須国造碑の保護と侍塚古墳の発掘(1692年、日本で最初の考古学的発掘と言われる)。
1690年、隠居。西山荘(常陸太田)。梅里。1694年、江戸の藩邸で、家老藤井紋太夫を自分で刺し殺した。理由は分からない(柳沢吉保と通じていた、と言う)。
1701年1月14日、西山荘で死んだ。73歳。「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、ぶんぶといふて夜もねられず」(文武、と綱吉の文治主義への皮肉、と言う)。
「水戸黄門」。黄門は中納言の唐名。助さん格さんを連れて全国を漫遊して悪代官を懲らしめる話は、講談から1950年代の映画、1969年から2011年のテレビ。光圀は、江戸と水戸と、鎌倉と日光と、それしか行っていない。