概要
一族の争いから国衙を襲い、関東八か国を取って「新皇」を名乗った。二か月で藤原秀郷と平貞盛に討たれた。首は京で晒され、東へ飛んで落ちた所が大手町の首塚。祟る神として、いまも祀られている。
所属
日本関わったできごと(1)
平将門の乱AD939年 · 新皇本文
平将門。 相馬小次郎。 桓武天皇から、 葛原親王、高見王、高望王。 高望が889年に平の姓を受けて上総に下った。 その三男良将(良持)が将門の父。 鎮守府将軍。
京。 藤原忠平に仕えた。 「滝口」。 検非違使を望んで、得られなかった。 帰った。 下総の豊田・猿島。
伯父の平国香、平良兼、平良正。 源護。 935年2月、野本。 国香が死んだ。 源護の三人の子が死んだ。 良兼が攻め、 将門が勝ち、 937年、良兼が「良将の像」を先頭に立てて攻めた。 父の姿を。 将門は退いた。 良兼は939年に病死した。
武蔵。 国司の興世王と足立郡司の武蔵武芝の争いを仲裁した。 興世王は将門についた。 「一国を討っても罪は同じ。坂東を取ってから京の返事を待とう」。 興世王の言葉、と『将門記』。
常陸。 藤原玄明。 国司に追われて将門を頼った。 939年11月21日、常陸国府。 藤原維幾。 国印と倉の鍵を奪った。 12月、下野、上野。 「新皇」。 除目。 下野守、上野守、常陸介、上総介、安房守、相模守、伊豆守、下総守。 「京」を定めた。
『将門記』。 「一国を討つも、天下を取るも、同じ謀反」。 「将門は天皇の五代の孫、半分は天皇の血」。 「伯父たちに私の土地を奪われて」。 将門の側の言い分が、書いてある。 書いた人は分からない。
940年2月14日。 藤原秀郷。 下野の押領使。 「俵藤太」。 平貞盛。 国香の子。 将門の兵は、農繁期で、 「わずかに一千」。 「風、順に吹き」 「時に将門、風の下に立ち」 矢。 「神鏑」。 額。 「一人を殺すと、皆殺しになる」。
首は京。 東市。 藤原純友が、同じ年。 「天慶」。 菅原道真の霊。 道真は903年に死に、 930年に清涼殿に雷を落とした。 将門の託宣で「道真が位記を書く」と言った。 京で、道真も将門も、祟る神になった。