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Person / 人

平将門

Taira no Masakado
? – AD940年
日本重要度 4

概要

一族の争いから国衙を襲い、関東八か国を取って「新皇」を名乗った。二か月で藤原秀郷と平貞盛に討たれた。首は京で晒され、東へ飛んで落ちた所が大手町の首塚。祟る神として、いまも祀られている。

所属

日本

関わったできごと(1)

平将門の乱AD939年 · 新皇

本文

平将門。 相馬小次郎。 桓武天皇から、 葛原親王、高見王、高望王。 高望が889年に平の姓を受けて上総に下った。 その三男良将(良持)が将門の父。 鎮守府将軍。

京。 藤原忠平に仕えた。 「滝口」。 検非違使を望んで、得られなかった。 帰った。 下総の豊田・猿島。

伯父の平国香、平良兼、平良正。 源護。 935年2月、野本。 国香が死んだ。 源護の三人の子が死んだ。 良兼が攻め、 将門が勝ち、 937年、良兼が「良将の像」を先頭に立てて攻めた。 父の姿を。 将門は退いた。 良兼は939年に病死した。

武蔵。 国司の興世王と足立郡司の武蔵武芝の争いを仲裁した。 興世王は将門についた。 「一国を討っても罪は同じ。坂東を取ってから京の返事を待とう」。 興世王の言葉、と『将門記』。

常陸。 藤原玄明。 国司に追われて将門を頼った。 939年11月21日、常陸国府。 藤原維幾。 国印と倉の鍵を奪った。 12月、下野、上野。 「新皇」。 除目。 下野守、上野守、常陸介、上総介、安房守、相模守、伊豆守、下総守。 「京」を定めた。

『将門記』。 「一国を討つも、天下を取るも、同じ謀反」。 「将門は天皇の五代の孫、半分は天皇の血」。 「伯父たちに私の土地を奪われて」。 将門の側の言い分が、書いてある。 書いた人は分からない。

940年2月14日。 藤原秀郷。 下野の押領使。 「俵藤太」。 平貞盛。 国香の子。 将門の兵は、農繁期で、 「わずかに一千」。 「風、順に吹き」 「時に将門、風の下に立ち」 矢。 「神鏑」。 額。 「一人を殺すと、皆殺しになる」。

首は京。 東市。 藤原純友が、同じ年。 「天慶」。 菅原道真の霊。 道真は903年に死に、 930年に清涼殿に雷を落とした。 将門の託宣で「道真が位記を書く」と言った。 京で、道真も将門も、祟る神になった。