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Person / 人

蘇我稲目

Soga no Iname
? – AD570年
重要度 4

概要

蘇我氏の大臣。渡来人を使い、屯倉を管理し、二人の娘を欽明天皇に入れた。仏像を自分の家に置いて祭った。向原の家。日本で最初の寺。疫病で像を捨てられ、寺を焼かれた。息子馬子が物部を滅ぼし、孫の蝦夷と入鹿が乙巳の変で滅んだ。

関わったできごと(1)

仏教の日本伝来AD538年(552年説もある) · 受けた

本文

蘇我稲目。 「蘇我」。 「武内宿禰の子孫」。「石川宿禰」。「満智、韓子、高麗、稲目」。 「韓子」「高麗」。朝鮮の名。 「渡来人と組んだ氏」。 「東漢氏、秦氏」。 「屯倉」。 「宣化のとき、大臣」。536年。 「三宅」。「籍」。「渡来人に、記録を」。 「欽明」。 「二人の娘」。「堅塩媛」「小姉君」。 「7男6女」。 「大伴金村が任那の割譲で失脚し、物部尾輿と蘇我稲目が並んだ」。 538年。 「向原の家」。 「小墾田の家」。 「日本で最初の寺」。「私の家」。 「桜井道場」。 「疫病」。 「物部が像を捨て、寺を焼いた」。 「稲目は、金銅の仏を、まだ持っていた」。 570年、死んだ。 「馬子」。 「587年、馬子が物部守屋を滅ぼした」。 「592年、馬子が崇峻天皇を殺した」。 「推古」。「聖徳太子」。「飛鳥寺」。「法興寺」。 「稲目の家の仏を、馬子が寺に」。 「稲目—馬子—蝦夷—入鹿」。 645年。 「乙巳の変」。 「4代、100年」。 「蘇我は、渡来人と、仏教と、屯倉で、大和を動かした」。 「『日本書紀』は、蘇我を悪く書いた。藤原の側から」。 「稲目は、悪く書かれていない。仏を受けた人として」。 「都塚古墳」。「稲目の墓か」。飛鳥。「ピラミッド型」。2014年。 「小墾田」。「豊浦」。 「豊浦寺。推古の宮の跡で、稲目の家の跡」。 「稲目の家の下から、寺の跡が」。 「本当に、彼の家に寺を」。 「日本の仏教は、一人の大臣の家から」。