概要
ロシア帝国のピンスク(現ベラルーシ)生まれ。ハリコフで学び、革命後の混乱の中で統計局に勤めた。1922年、アメリカへ移住。コロンビア大学で学位。全米経済研究所で、長期の経済統計の系列を組み立てた。1934年、議会に国民所得の推計を提出。第二次大戦中は戦時生産の計画に関わった。経済成長と所得格差の関係を論じた「クズネッツ曲線」で知られる。彼自身は、その仮説を暫定的なものとして提示していた。1971年ノーベル経済学賞。
所属
アメリカ合衆国関わったできごと(1)
国民所得の発明AD1934年 · 作った本文
1901年4月30日、ロシア帝国**ピンスク**(現ベラルーシ)。
ユダヤ人の家。父アブラハムは、毛皮商。
**1907年**、父が**アメリカへ渡った**。
(家族を呼び寄せるつもりだった。**第一次大戦が、それを阻んだ**。
——**家族は、10年以上、離れて暮らした**。)
**ハリコフ**(現ウクライナのハルキウ)で育った。
**1918年**、ハリコフ商業大学。
(革命の直後である。大学は、混乱していた。)
**1921年**、彼は**ハリコフの労働統計局**で働いた。20歳。
(そこで、彼は最初の論文を書いた——**ウクライナの工場労働者の賃金**についての統計的な研究。
——**彼の生涯の方法が、ここで決まった**。データを集め、系列を作り、そして長期の変化を見る。)
**1922年**、彼と兄は、**アメリカへ渡った**。
(父と、14年ぶりに再会した。)
**コロンビア大学**。
(1923年、学士。1924年、修士。**1926年、博士**。
——**わずか4年**である。彼は、ロシアで既に学んでいた。)
指導教官——**ウェズリー・クレア・ミッチェル**。
(**景気循環**の研究者。そして、**全米経済研究所(NBER)**の創設者の一人。
**彼の方法**——理論から演繹するのではなく、**まず、測る**。
〈当時、経済学の主流は、理論の構築だった。ミッチェルとクズネッツは、「**測定なくして理論なし**」という立場を取った。〉)
**NBER**。
1927年、研究員として入った。
彼が組み立てたもの——**アメリカの、長期の経済統計の系列**。
(1869年まで遡って、国民所得を推計した。
**当時、そんなデータは、存在しなかった**。彼は、産業ごとの断片的な記録、国勢調査、税の記録、企業の報告——あらゆるものを集めて、繋いだ。)
**1934年**。
上院への報告書『**国民所得 1929-1932**』。
(**33歳**である。)
**警告**。
そして、彼は、**その報告書の中で、書いた**。
「**一国の福祉は、上記のように定義された国民所得の測定から、推し量ることは、ほとんどできない**」。
(**この一文が、後に、繰り返し引用される**。
——**数え方を作った本人が、その限界を、最初に明記した**。)
**戦争**。
**1942〜44年**、**戦時生産局**の計画統計局。
(副局長。ロバート・ネイサンの下で。)
**仕事**——「**我々は、どれだけ生産できるのか**」を、計算する。
(軍が要求する生産と、**実際に可能な生産**の間に、大きな乖離があった。
彼らの推計が、軍の計画を、**現実に合わせて修正させた**。
——1942年、軍の要求が過大であることを示す報告書を出し、**軍から激しく反発された**。
〈報告書は、しかし、採用された。〉)
**戦後**。
- ペンシルベニア大学(1930〜54年) - ジョンズ・ホプキンズ大学(1954〜60年) - **ハーバード大学**(1960〜71年)
そして、**各国の統計体系の構築を、助けた**。
(中国(戦前)、インド、日本、イスラエル、韓国、そして台湾。
——**日本**では、戦後の国民所得統計の整備に、彼の枠組みが使われた。)
**研究**。
彼の主題——**経済成長**。
**方法**——**極めて長期の、極めて広範な、データの比較**。
(『**近代経済成長**』(1966年)、『**諸国民の経済成長**』(1971年)。
十数か国について、100年以上の系列を作り、比較した。
——**この規模のデータの整理を、コンピュータのない時代に行った**。)
**クズネッツ曲線**。
**1955年**、アメリカ経済学会の会長講演。
「**経済成長と所得の不平等**」。
**仮説**——経済が発展すると、所得の格差は、**まず拡大し、その後、縮小する**。
(逆U字。
**理由**として彼が挙げたもの——農業から工業へ人が移る過程で、まず格差が広がり、やがて工業部門が主流になると、縮む。
そして、**政治的な要因**——民主化、労働運動、そして再分配の政策。)
**彼自身の、留保**。
**その講演の中で、彼は明確に書いている**。
「**この論文は、おそらく5%の実証と、95%の推測からなる。そして、その推測の一部は、希望的観測に汚染されているかもしれない**」。
("perhaps 5 per cent empirical information and 95 per cent speculation, some of it possibly tainted by wishful thinking.")
**それでも**。
この仮説は、その後**数十年**、政策の議論で使われた。
「**成長すれば、格差は、自然に縮まる**」。
**その後の検証**。
- **1970年代以降、先進国の格差が、再び拡大した**。 - **2013年**、**トマ・ピケティ**『**21世紀の資本**』。
(20世紀半ばの格差の縮小は、**成長の自然な結果ではなかった**。
**二つの世界大戦による資本の破壊**と、**大恐慌**と、そして**戦後の高い累進課税と社会保障**による。
——それらがなくなれば、格差は、**また拡大する**。)
(ピケティは、クズネッツを批判していない。むしろ、**クズネッツが作ったデータの系列を、さらに長く、広く延長した**のが、彼の仕事である。
そして、彼は書いている——クズネッツ自身が、自分の仮説を暫定的なものと明言していた、と。)
**1971年、ノーベル経済学賞**。
授賞理由——
「**経済成長についての、実証的に基礎づけられた解釈。それは、経済的・社会的な構造と、発展の過程についての、新しい、そしてより深い洞察をもたらした**」。
**人柄**。
彼は、**極めて寡黙**だったと、多くの証言がある。
(講義は、平板で、面白くなかった、という学生の回想がある。
しかし、**彼の指導を受けた学生から、多数の重要な経済学者が出た**。
——**ミルトン・フリードマン**(彼の博士論文の共同研究者。専門職の所得についての研究)、**ロバート・フォーゲル**(ノーベル賞)、**リチャード・イースタリン**(幸福と所得の関係の研究、「イースタリンの逆説」)。)
**1985年7月8日**、マサチューセッツ州ケンブリッジで死去。**84歳**。
**残ったもの**。
いま、**世界のほぼすべての国が、GDPを発表している**。
その枠組みは、彼が1930年代に組み立てたものの、直接の子孫である。
そして——彼が1934年に書いた警告の一文は、**その枠組みが使われるたびに、繰り返し引用され続けている**。
引用されながら、**採用されていない**。