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Person / 人

セクストゥス・ポンペイウス

Sextus Pompey
BC67年 – BC35年(享年32・推定)
ローマ重要度 3

概要

ポンペイウスの次男。父はエジプトで、兄はムンダで殺された。追放された者と逃亡奴隷でシチリアを取り、船でローマの穀物を止めた。「ネプトゥヌスの子」。ミセヌムで三頭と宴をし、「縄を切れば彼らは私のもの」と言われて「それは私の名誉に」。アグリッパに負け、小アジアで殺された。

所属

ローマ

関わったできごと(1)

ナウロコスの海戦BC36年9月3日 · 負けた

本文

セクストゥス。 BC67年。 「大ポンペイウスの次男」。 母ムキア。 BC48年、エジプト。「船で見ていた」。「父の小舟」。 「母コルネリア(継母)と」。 アフリカ。タプソス。 スペイン。ムンダ。「兄グナエウスが」。 「山」。 「ゲリラ」。 BC44年、カエサルが死んだ。 「元老院が、私に、海を」。 BC43年、「海の指揮官」。 「追放告示。私は、シチリアへ」。 「船を、送った。逃げる者を、拾った」。 「奴隷」。 「穀物」。 BC42年、フィリッピ。 「私は、行かなかった」。 BC40年、「ローマは、飢えた。オクタウィアヌスは、石を投げられた」。 BC39年、ミセヌム。 「船の上で」。 「メナス。『縄を切りましょう』」。 「私の名誉」。 「シチリア、サルデーニャ、コルシカ、ペロポネソス。5年。執政官に」。 「ローマの追放者が、帰った」。 BC38年、メナスが裏切った。 「オクタウィアヌスが、二度、嵐で」。 BC36年。 「ナウロコス」。 「17隻」。 「東へ」。 「レスボス」。 「アントニウスの兵を、集めた」。 「ビテュニア」。 「ティティウス」。 「ミレトス」。 BC35年。 「ネプトゥヌス」。 「彼は、海の神の子と名乗った。青いマント。海で負けた」。 「彼の首は」。 「彼の娘ポンペイア」。 「彼の名で、ローマ帝国の、ある家が」。 「ポンペイウス。父の名を継いで、父より」。 「彼は、海賊と呼ばれた」。 「彼は、共和政の、最後の、抵抗」。 「あるいは、海賊」。 「ローマの民は、飢えた。彼は、穀物を止めた」。 「彼のために、ローマは、彼を憎んだ」。 「そして、オクタウィアヌスは、彼を退けて、ローマに愛された」。