概要
技師の子。十六歳で孤児となり薬剤師の見習いになった。二十歳前後、店の裏でアヘンの成分を調べ、白い結晶を取り出した。犬と自分たちで試し、強い眠りと呼吸の抑制を確かめた。1806年と1817年の論文で、植物に塩基性の有効成分が含まれるという考えを示した。当初は無視され、ゲイ=リュサックが仏語に訳して広まった。後年は薬局を経営し、痛風とうつに苦しんだ。自らモルヒネを常用していたとされる。
関わったできごと(1)
モルヒネの単離AD1804年 · 単離した本文
**フリードリヒ・ヴィルヘルム・アダム・ゼルチュルナー**(1783〜1841年)。
**パーダーボルン近郊、ノイハウス**の生まれ。
(**父は、**パーダーボルン司教領の宮廷の、測量技師**である**。
〈**オーストリア出身、という説がある**。〉
**1799年、**父が死んだ**。**息子は、十六歳**。
——**そして、**孤児になった**(母も、既に死んでいたとされる)。)
**見習い**。
(**パーダーボルンの**宮廷薬局**(Hofapotheke)の、見習いになった**。
**主人——**フランツ・アントン・クラマー**。
——**薬局の仕事は、**調剤と、販売と、雑用**である**。
**そして、**裏に、実験の設備がある**。
〈**当時の薬局は、**事実上の化学実験室**だった**。
**多くの化学者が、薬局から出ている**。
——**シェーレ、クラプロート、そしてリービッヒの周辺**。〉)
**問い**。
(——**アヘンは、なぜ効くのか**。
**そして、**なぜ、効きが安定しないのか**。
〈**当時の答え**——**「アヘンの、全体が効く」**。
**成分に分ける、という発想が、まだ弱かった**。
**そして——**植物の成分は、酸か、中性である**、と考えられていた**。〉)
**実験**。
**1803年から1805年頃**。
(**方法の要点**——
**アヘンを、水で抽出する**。
**そこに、**アンモニア(アルカリ)**を加える**。
**——**白い結晶が、沈殿した**。
〈**この結晶は、**酸に溶けて、塩を作る**。
**つまり——**塩基である**。
**「植物の中に、アルカリ性の物質がある」**。
——**これが、当時の理論に、反していた**。〉)
**試験**。
(**犬に与えた**。**眠った**。**量を増やすと、死んだ**。
**そして、**自分と、三人の若者(十七歳前後)で、飲んだ**。
**——半グレーンずつ、三回**。
**そして、**倒れた**。
〈**「顔面の紅潮、目の輝き、そして、腹部の激しい痛み。**
**……**わたしは、意識を失いかけた**。**
**……**吐かせるために、酢を飲ませ、事なきを得た**」**(要旨)。
**彼は、こう結んでいる**。
**「わたしは、この結果に、恐怖を覚えた**。
**……**この物質は、恐るべき毒である**。……
**若い人々に、これ以上、試させる気になれない」**。〉)
**名づけ**。
**モルフィウム**(Morphium)。
(**ギリシアの、夢を司る神**モルペウス**から**。
〈**後に、フランスで **morphine**、それが国際的な名になった**。
**ゼルチュルナーは、Morphium と呼び続けた**。〉)
**無視、そして承認**。
(**1806年、**『Journal der Pharmacie』**に発表**。
——**ほとんど、反応が無かった**。
**理由**。
〈**(1)**理論に、合わない**。
**(2)**発表の場が、地味**。
**(3)**書き手が、無名の見習い**。
**(4)そして——**当時、**フランスの化学者が、同じ主題で、否定的な結論を出していた**。〉
**1817年、**改めて、詳しく発表した**。
**今度は、**主張を、明確にした**。
**「植物には、**アルカリ性の有効成分**が含まれている。これは、新しい種類の物質である」**。
**——これが、**ゲイ=リュサック**の目に留まった**。
**彼が、フランス語に訳して、自分の雑誌に載せ、**注釈を付けた**。
〈**「ドイツの薬剤師諸君の例に倣って、他の植物についても、同様の探索を行うべきである」**。〉
**——それで、**火がついた**。
**1817年からの十数年で、**キニーネ、ストリキニーネ、カフェイン、ニコチン、アトロピン**が、次々に単離された**。〉)
**その後**。
(**1809年、**アインベックで、薬局を買った**。
**1822年、**ハーメルンへ移った**。
**——**経営は、順調だったとされる**。
**そして、**他の研究も、続けた**。
〈**銃の**打撃薬**の改良**。**そして、**コレラの原因についての考察**。
——**後者は、**当時としては先駆的な部分と、誤った部分が混じっている**。〉)
**賞**。
(**1831年、**フランス学士院、モンティヨン賞**。
**賞金——**2,000フラン**。
〈**「人類への恩恵」に対して**。
——**彼が受けた、ほとんど唯一の、大きな公的評価である**。〉)
**晩年**。
(**痛風と、うつに、苦しんだ**。
**そして——**自らモルヒネを常用していた**、とされる**。
〈**確定した記録ではないが、複数の伝記がそう記す**。〉
**1841年2月20日、ハーメルンで死んだ**。**57歳**。)
**残ったもの**。
(——**「薬草」から、**「有効成分」**へ**。
**そして、**「何滴」から、「何ミリグラム」へ**。
**——薬が、**量で扱えるもの**になった**。
**その最初の一歩を、**二十歳の薬局の見習いが、店の裏で踏んだ**。)
**そして、もう一つ**。
(**モルヒネは、**いまも、最も重要な鎮痛薬の一つ**である**。
**WHOの必須医薬品リストに、載っている**。
**——同時に、**世界の多くの地域で、**痛みを抱えた人が、これを手に入れられない**。
〈**規制が厳しすぎるためである**。
**そして、別の地域では、**オピオイドの過剰処方が、大量の死を生んでいる**。〉
**——同じ物質の、二つの顔である**。)