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Person / 人

サミュエル・モールス

Samuel Morse
AD1791年4月27日 – AD1872年4月2日(享年80)
アメリカ合衆国重要度 4

概要

画家。ラファイエットの肖像を描いていたとき、ワシントンから妻が病気だと手紙が来て、着いたときには埋葬されていた。遠くに速く伝える方法を考えた。1832年、船の上で電信を思いつき、ヴェイルと符号を作った。1844年、議会が3万ドル。「神は何を成し給うたか」。特許で富んだ。反カトリック、反移民、奴隷制の擁護者でもあった。

所属

アメリカ合衆国

関わったできごと(1)

モールスの電信AD1844年5月24日 · 送った

本文

1791年、マサチューセッツのチャールズタウン。牧師(地理学者でもあった)の子。イェール。画家になりたかった。ロンドンで4年、歴史画。帰って肖像画で生計を立てた。1825年、ラファイエットの肖像。妻が死んだ。1826年、全米デザイン・アカデミーを作って、会長。

1832年10月、ル・アーヴルからニューヨークへの船シュリー号で、ジャクソン医師が電磁石の話をした。「電線のどこでも電気は同時に流れる」。モールスはノートに、電流を断続して信号を送る装置の絵を描いた。「発明した」と船を降りるとき船長に言った。同じことをヨーロッパで何人もが考えていて、彼は知らなかった。

1835年、ニューヨーク大学の美術の教授。装置を作った。画家のキャンバスの枠で。ジョゼフ・ヘンリーの電磁石の研究(継電器の原理)を教えられて、使った(後でヘンリーとの功績の争いになった)。1837年、機械工アルフレッド・ヴェイル(父が鉄工所を持っていた)が加わった。ヴェイルが装置を作り直し、符号を作った。「モールス符号」の多くはヴェイルの仕事だと言われる。

1838年、ワシントンで議会に実演した。金は出なかった。ヨーロッパで特許を取ろうとして、取れなかった。1843年3月3日、会期最後の夜、3万ドルが通った。1844年5月24日。

特許、訴訟(1854年、最高裁で勝った)、会社。富んだ。ポキプシーの屋敷。1858年、ヨーロッパの10か国が40万フランを贈った。1871年、ニューヨークのセントラル・パークに生前の像。

反カトリック(1830年代、教皇の陰謀の本を書いた。移民排斥党から市長選に出て落ちた)、奴隷制の擁護(「奴隷制は罪ではなく、神の摂理」と1863年に書いた)、リンカーンに反対した。

1872年4月2日、ニューヨークで死んだ。80歳。写真もアメリカに持ち込んだ(1839年、パリでダゲールに会って)。