概要
カスティーリャのカレルエガ。パレンシアで学び、飢饉のとき本を売って貧民に与えた。オスマの参事会員。1203〜06年、司教と共にデンマークへ使いして、トゥールーズの宿で、カタリ派の宿主と一晩議論して改宗させた。ラングドックに残った。プルイユに改宗した女の修道院(1206年)。アルビジョワ十字軍の中で、剣でなく説教で。1215年、トゥールーズで6人と。1216年、認可。1217年、弟子を散らした(「穀物は蓄えれば腐り、撒けば実る」)。パリ、ボローニャ、ローマ。ボローニャで死んだ。ロザリオを作ったという伝承。
関わったできごと(1)
ドミニコ会の認可AD1216年12月22日 · 作った本文
1170年頃、カスティーリャのカレルエガ(ブルゴスの南)。ドミンゴ・デ・グスマン。伝承では、母フアナ(福者)が妊娠中に、口に松明をくわえた犬が世界を照らす夢を見た。洗礼のとき、代母が、額に星が輝くのを見た。
叔父(司祭)に育てられ、パレンシアの学校(後のサラマンカ大学の元)で10年(自由学芸と神学)。1191年頃、飢饉。学生が飢えた。ドミニコは、写本(羊皮紙に自分で注を書き込んだ、高価なもの)を売って、貧しい人に与えた。「私は、死んだ皮の上で勉強しながら、人が飢えて死ぬのを見ていられない」。
1196年頃、オスマ大聖堂の参事会員(アウグスティヌス会則に従う共同生活)。1201年、副院長。
1203年と1205年、司教ディエゴ・デ・アセベスに従って、デンマークへ二度、使いした(アルフォンソ8世の王子の縁談。二度目は、花嫁が死んで、無駄になった)。行きにトゥールーズ。宿の主人がカタリ派で、ドミニコは一晩中議論して、朝までに改宗させた。帰りにローマ。ディエゴは教皇インノケンティウス3世に「司教を辞めて、クマン人(草原の異教徒)に宣教したい」と願って、断られ、「ラングドックの異端に働け」と言われた(と伝える)。
1206年、モンペリエ。教皇の使節(シトー会士たち)は、12年、成果がなかった。ディエゴが助言した。「馬を降りろ。従者を帰せ。荷物を捨てろ。二人ずつ、裸足で、歩いて、貧しく、説教しろ。彼らのように」。使節たちは従った。ドミニコとディエゴも。公開討論(モンレアル、1207年。8日間。伝説では、ドミニコの書いた紙が火の中で3度、燃えずに飛び出した)。
1206年12月、プルイユ(ファンジョーの近く)。カタリ派から改宗した女性たちのための修道院。カタリ派は貴族の娘を「完徳者」の家で教育していた。ドミニコは、同じことを、カトリックで。ドミニコ会の最初の家は、女子修道院だった。
1208年1月、教皇使節ピエール・ド・カステルノーが殺された。1209年、アルビジョワ十字軍。ドミニコは十字軍に加わらなかった。説教を続けた。シモン・ド・モンフォールと親しく(モンフォールの娘の洗礼、息子の結婚に立ち会った)、十字軍の暴力を止めたという記録はない。異端審問官ではなかった(制度は1231年)。ただし、彼が異端者を「和解」させた文書がある(改宗の証明。従わなければ世俗の腕に渡される)。「彼は異端者に対して、火でなく、言葉と模範で戦った」と会は言う。「彼は、火を止めなかった」と批判する人もいる。
1215年、トゥールーズ。市民ピエール・セイランが家を寄付し、司教フルクが認可した。6人。同じ年、第4ラテラノ公会議(新しい会則の禁止)。1216年12月22日、ホノリウス3世の認可。1217年1月21日、「説教者修道会」の名。
1217年8月15日、散らした。1218〜19年、スペインとイタリアを歩いて回った(マドリード、セゴビア、ボローニャ、ローマ)。1220年、ボローニャの第1回総会。「乞食(メンディカント)」を選んだ。所領も定期収入も持たない。1221年、第2回総会。管区を8つに。
歩いた。生涯、馬に乗らず、裸足で、杖と、袋に福音書(マタイ)とパウロ書簡を入れて。夜、教会で祈って、床で寝た。「昼は人と、夜は神と話す」。
1221年8月6日、ボローニャで、熱で死んだ。51歳。修道士たちの墓地に、簡素に葬るよう望んだ。1233年、遺体を移すとき、棺から良い香りがした、と伝える。1234年7月3日、グレゴリウス9世が列聖した(グレゴリウスは枢機卿ウゴリーノとして、ドミニコもフランチェスコも知っていた)。ボローニャのサン・ドメニコ教会に、ニコラ・ピサーノとその弟子(後にミケランジェロが3体の小像を足した)の墓廟。
ロザリオ。伝説では、1208年、聖母がドミニコに現れて、ロザリオを与えた(15世紀のドミニコ会士アラン・ド・ラ・ロシュが広めた話)。歴史的な根拠はない。しかし、ドミニコ会がロザリオの信心を広めたのは確か。
会。1221年に300人、1256年に1万3000人。トマス・アクィナス、マイスター・エックハルト、フラ・アンジェリコ、サヴォナローラ、トルケマダ、ラス・カサス、ヴィトリア、ラクロワ。「真理(Veritas)」。「観想し、観想したことを人に伝える(contemplata aliis tradere)」。