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Person / 人

ロムルス・アウグストゥルス

Romulus Augustulus
AD460年頃 – ?
西ローマ帝国重要度 3

概要

父オレステスがアッティラの書記で、ローマの軍司令官になって息子を皇帝にした。10か月。「小さなアウグストゥス」。オドアケルが父を殺し、子は殺さず、ナポリの近くの荘園に年金をつけて送った。ローマの最初の王と最初の皇帝の名を持った、最後の皇帝。いつ死んだか分からない。

関わったできごと(1)

西ローマ帝国の滅亡AD476年 · 退位した

本文

ロムルス。 父オレステス。パンノニアのローマ人。アッティラの書記。使者としてコンスタンティノープルへ。プリスコスが会った。 アッティラが死んで、ローマへ。 475年、皇帝ユリウス・ネポスが「軍司令官」に。 8月、オレステスがラヴェンナへ。ネポスはダルマティアへ逃げた。 10月31日、息子を皇帝に。 「ロムルス」。母方の祖父の名。「アウグストゥス」。皇帝の名。 「アウグストゥルス」。小さなアウグストゥス。嘲り。 10代。「14歳」「16歳」。 金貨。若い顔。 476年9月4日。 オドアケルは殺さなかった。「若さと美しさを憐れんで」。 ナポリ。ルクッルスの荘園。カステル・デル・オーヴォ。年金6000ソリドゥス。 「親族と」。 それから、分からない。 507年か511年、テオドリックが「ロムルス」に手紙。年金を続けた。同じ人か。 「500年頃、生きていた」。 「ローマ最初の王ロムルスと、最初の皇帝アウグストゥスの名」。 「最後の皇帝が、その名を」。 「歴史家が作ったような一致」。 本当。 「西ローマ最後の皇帝」。だがユリウス・ネポスが480年まで、ダルマティアで「皇帝」だった。 「ネポスが最後」と言う人もいる。 「彼は皇帝でもなかった」。東が認めていない。「簒奪者の子」。 「彼は、10か月の、認められていない、少年の皇帝」。 それでも「476年」は、彼の退位の年。 「古代の終わり」。 ギボン。「ローマ帝国衰亡史」。「476年」。 1930年、フリードリヒ・デュレンマットの戯曲『ロムルス大帝』。「彼は帝国を意図的に滅ぼした」。喜劇。鶏を飼って。 本当の少年は、鶏を飼ったかどうか。 ナポリの卵の城で、何年か。