人物

ロバート・オーウェン

Robert Owen
AD1771年5月14日 – AD1858年11月17日(享年87)
イギリス重要度 5

概要

ウェールズの馬具屋の子。10歳で店員、19歳でマンチェスターの紡績工場の支配人。1799年、義父の工場ニュー・ラナークを買った。児童労働の廃止、教育、住宅、店。「人の性格は、その人が作るのでなく、環境が作る」。1824年、アメリカのニュー・ハーモニーで共同体を試みて、3年で失敗した。1834年、全国労働組合大連合(数週間で50万人、そして崩壊)。協同組合運動の父。

関わったできごと(2)

ニュー・ラナークの実験AD1800年 · 経営した八時間労働AD1817年 · 唱えた

本文

1771年5月14日、ウェールズのニュータウン。馬具屋と金物屋の子、7人兄弟の6番目。学校は7歳まで(そのあと2年、助教師をした)。10歳でロンドンへ、布地商の店員。18歳、マンチェスターで、機械工と組んで紡績機を作る小さな商売を始めた。

ロバート・オーウェンの肖像
ロバート・オーウェンの肖像Wikimedia Commons William Henry Brooke · Public domain

19歳(と自分では書いた)、ドリンクウォーターの紡績工場の支配人になった。500人。当時最大級の工場を、経験なしで任された。彼は、工場を静かに、清潔に保ち、糸の質を上げた。

1799年、ニュー・ラナークを買った(マンチェスターの共同経営者と)。同じ年、工場主デイヴィッド・デイルの娘キャロラインと結婚した(デイルは厳格な長老派、オーウェンは無神論者で、それでも認められた)。

ロバート・オウエン
ロバート・オウエンWikimedia Commons Public domain

1800年から25年、ニュー・ラナーク。

思想の核。「人の性格は、その人によって作られるのではなく、その人のために作られる」。だから、悪い人間がいるのではなく、悪い環境がある。罰は無意味で、環境を変えることだけが人を変える。「人は、生まれつき善でも悪でもない。教育と環境が、全部を決める」。

1835年の綿紡績工場の様子
1835年の綿紡績工場の様子Wikimedia Commons Baines · Public domain

だから、彼は、貧困も犯罪も、道徳の問題でなく、制度の問題として扱った。それは、当時の福音主義的な慈善(「怠惰と不信心を正す」)とは、根本から違った。

1813〜16年、『社会に関する新見解』。1817年、失業対策の提案(「協同の村」。1200人が、農業と工業を組み合わせて自給する共同体を作る。政府と教区が費用を出す)。議会の委員会に提出され、真剣に検討されかけた。1817年8月21日、ロンドンの集会で、彼は突然、あらゆる既成宗教を非難する演説をした。「これまで、世界のあらゆる宗教は、人間の心に、不合理と、偽善と、憎悪を植えつけてきた」。中産階級の支持が、その日に消えた。

19世紀初期の工場内での児童の様子。
19世紀初期の工場内での児童の様子。Wikimedia Commons Frances Trollope · Public domain

1824年、アメリカへ。インディアナ州の、ドイツ人の宗教共同体が売りに出した土地と建物(3万エーカー)を買った。「ニュー・ハーモニー」。1825年、彼は新聞で「新しい社会に加わりたい者は来たれ」と呼びかけた。800人が来た。誰でも入れた。科学者と教育者(「知識の船」で来た地質学者マクルーアら)と、理想主義者と、働かない人と。憲法を7回書き直し、2年で崩れた。財産の8割(4万ポンド)を失った。

1828年、帰国。1834年、全国労働組合大連合(GNCTU)。数週間で50万人を集めた(と主張された)。同じ年、ドーセットのトルパドル村の農業労働者6人が、組合の秘密の誓約を交わしたことを理由に、7年のオーストラリア流刑になった(「トルパドルの殉教者」)。抗議の請願に80万の署名が集まった。連合は、資金も組織もなく、その年のうちに崩れた。

デイヴィッド・デイル(英語版)
デイヴィッド・デイル(英語版)Wikimedia Commons Hugh William Williams · Public domain

協同組合。1844年、ロッチデール公正先駆者組合(28人の織工が、1人1ポンドずつ出して、店を開いた。「ロッチデール原則」——1人1票、購買高に応じた配当、政治と宗教の中立、教育——が、いまの世界の協同組合の原型)。オーウェンの直接の作ではないが、彼の思想から出た人々が作った。

「社会主義(ソーシャリズム)」という言葉が、英語で最初に使われたのは、1827年、オーウェン派の雑誌『コオペラティヴ・マガジン』だった。エンゲルスは、彼を「空想的社会主義者」の一人に数え、同時に「イギリスの労働者階級のあらゆる社会運動、あらゆる現実の進歩は、オーウェンの名と結びついている」と書いた。

1800年の若きロバート・オウエン。マリー・アン・ナイト画。
1800年の若きロバート・オウエン。マリー・アン・ナイト画。Wikimedia Commons Mary Ann Knight (1776 - 1851) (Scottish) Details on Google Art Project · Public domain

晩年、心霊術に傾いた(死者と交信できると信じ、フランクリンとジェファーソンの霊と話したと語った)。1858年11月17日、生まれ故郷のニュータウンで死んだ。87歳。教会の墓地に、彼の墓がある。無神論者として排斥した教会の、その地面の中に。

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