概要
ニューヨークの生まれ。十代でテルミンの組み立て品を売り、その稼ぎで学業を続けた。コーネル大学で工学物理の博士号。1964年、電圧制御の発振器を発表し、音を部品の組み合わせとして作る楽器を実用にした。特許で囲わなかったため規格が広まり、同時に会社は経営に苦しんだ。楽器は演奏者のためのものだという立場を最後まで崩さなかった。
所属
アメリカ合衆国関わったできごと(1)
モーグ・シンセサイザーAD1964年 · 作った本文
**ロバート・アーサー・モーグ**(1934〜2005年)。
(——**姓の読みは、「モーグ」である**。
**本人が、繰り返し訂正した**。「**vogue と韻を踏む**」。
〈「ムーグ」と読まれることが多いが、彼の家(オランダ系)の読みは、そうではない。〉)
**ニューヨーク市、フラッシング**の生まれ。
(**父は、電力会社の技師**。
**母は、ピアノを教えた**。
——**息子に、ピアノを習わせた**。
〈**彼は、それを嫌った**。しかし、後に、その素養が役に立った。〉
**父は、日曜日ごとに、息子を電気部品の店に連れて行った**。)
**テルミン**。
**14歳**(1948年)。
(**雑誌『Electronics World』に、テルミンの製作記事が載っていた**。
**父と一緒に、作った**。
——**そして、彼は、それに取り憑かれた**。
**19歳のとき、自分で設計した回路の記事を、雑誌に発表した**。
**そして、組み立てキットの通信販売を、自宅の地下室で始めた**。
〈**R.A. Moog Co.**、1954年。**19歳の起業である**。
**このキットの売り上げが、大学院までの学費になった**。〉)
**学位**。
**クイーンズ・カレッジ(物理学)**。
**コロンビア大学(電気工学)**。
**コーネル大学(工学物理学、博士、1965年)**。
(——**博士論文を書きながら、シンセサイザーを作っていた**。)
**1963年**。
**ニューヨーク州の音楽教育者の会合で、作曲家**ハーバート・ドイチュ**と出会った**。
(**ドイチュが、電子音楽を作りたいと言った**。
**モーグが、「こういうものが作れるかもしれない」と応えた**。
——**その夏、ドイチュがモーグの工房に滞在して、二人で作った**。
〈**最初の試作**——**発振器二つと、増幅器**。
**それを鳴らしたとき、二人は、夜通し、その音を聞いていた**、と伝えられる。〉)
**1964年**、**オーディオ技術学会**で、発表した。
(——**注文が、来た**。
**最初の客は、振付師のアルウィン・ニコライ**である。)
**核心**。
**電圧制御**。
そして、**1オクターヴにつき1ボルト**という取り決め。
(——**なぜ、これが重要か**。
**この規格を、彼は、特許で囲わなかった**。
**だから、他社も、同じ規格を使った**。
**結果——違うメーカーの機械を、線でつなげる**。
〈**いまも、モジュラー・シンセサイザーの世界標準である**。〉
**そして——彼の会社は、儲からなかった**。)
**ラダー・フィルタ**。
(——**これは、特許を取った**(1969年)。
**トランジスタを、梯子状に積む回路**。
**独特の、太く、丸い音になる**。
〈**この特許が切れた後、多くのメーカーが、これを模した**。〉)
**転機**。
**1968年、ウェンディ・カーロス『スイッチト・オン・バッハ』**。
(**100万枚を超えて売れた**。
——**シンセサイザーが、売れる楽器になった**。)
**1970年、ミニモーグ**。
(**持ち運べる。パッチ・コードが要らない。舞台に乗る**。
——**約12,000台**。)
**失敗**。
(**彼は、経営者ではなかった**。
**「わたしは、発明家であって、事業家ではない」**と、繰り返し語った。
**1971年、資金繰りのために、会社の支配権を、投資家に渡した**。
**1973年、本社がニューヨーク州バッファローへ移された**。
**1977年、退社**。
〈**そして、自分の名字を、商標として使えなくなった**。
**「Big Briar」という別の名で、活動した**。〉
**1978年から、ノースカロライナ州アッシュヴィルに住んだ**。
〈**カーテイス・エレクトロミュージック、そしてカーツウェルの顧問**を務めた。〉)
**そして、時代が、彼を追い越した**。
(**1983年、ヤマハDX7**。
——**デジタルで、多声で、安く、音が狂わない**。
**アナログ・シンセサイザーは、中古市場で、二束三文になった**。
〈**1980年代後半、ミニモーグが、100ドル台で売られていた**、という話がある。〉)
**そして、戻ってきた**。
(**1990年代、アナログの音が、再び求められた**。
**ヒップホップ、テクノ、ハウス**。
——**そして、ミニモーグの中古価格が、暴騰した**。
**2002年**、**モーグは、訴訟の末、「Moog Music」の商標を、取り戻した**。
**同年、ミニムーグ・ヴォイジャー**を発表した。)
**死**。
**2005年4月、脳腫瘍と診断された**。
**2005年8月21日、死去**。**71歳**。
(——**診断から、四か月である**。
**最期まで、工房に関心を寄せていた**。)
**言葉**。
**「わたしは、楽器を作っているのであって、音楽を作っているのではない」**。
**「技術は、道具だ。音楽は、人がするものだ」**。
(——**彼は、シンセサイザーが「本物の楽器ではない」という批判に、生涯、さらされた**。
**そして、こう答え続けた**。
**「奏者が、それで表現できるなら、それは楽器である」**。)