概要
イートン校の書記の子。ケンブリッジで学び、生涯を英国国教会の教区司祭として過ごした。数学は職業ではなく、志願者に無償で教えた。ウォリス、レン、そして多くの数学者が彼の弟子である。1631年の『数学の鍵』は簡潔すぎて難解とされたが、長く読まれた。掛け算の記号×と、比を表す:: は彼が導入したものである。1622年頃、対数目盛の尺を二本重ねて滑らせる計算尺を考案した。八十六歳で死んだ。
関わったできごと(1)
計算尺AD1622年 · 考案本文
**ウィリアム・オートレッド**(1574〜1660年)。
**イートン**の生まれ。
(**父は、**イートン校の書記**であり、**筆算を教えていた**。
**——**息子は、父から、数を習った**。)
**ケンブリッジ大学、キングズ・カレッジ**。
(**1596年、学士**。**1600年、修士**。**そして、フェロー**。
〈**——**在学中から、数学に没頭した**。
**「わたしは、夜、**他の者が眠っている間に**、数学を学んだ」**という趣旨のことを、後に書いている**。
**——**当時、大学の課程に、数学は、ほとんど無い**。
**〈神学、古典、論理学が中心である。〉**〉)
**1603年、**叙階**。
**1610年、**サリー州アルベリの教区司祭**。
**——**以後、**五十年、そこにいた**。
(——**田舎の、小さな教区である**。
**そして、彼は、**そこで、数学をした**。)
**教える**。
(——**弟子を、**無償で、家に泊めて、教えた**。
〈**——**謝礼を、受け取らなかった**。
**「知識は、売るものではない」**という考えである、と伝えられる**。〉
**教えた相手**。
**ジョン・ウォリス**(無限記号 ∞ を導入した数学者)。
**クリストファー・レン**(セント・ポール大聖堂の建築家。**もともと、数学者と天文学者である**)。
**セス・ウォード**(天文学者、後の司教)。
**リチャード・デラメイン**(——**そして、彼とは、争うことになる**)。
**——**そして、**多数**。
〈**彼の家は、**事実上の、私設の数学の学校**だった**。
**そして、**その弟子たちが、後に、**王立協会の創立に関わった**。〉)
**著作**。
**『数学の鍵』**(Clavis Mathematicae、1631年)。
(——**代数の教科書**である**。
**特徴——**極端に、簡潔**。
〈**——**全体で、百ページ程度**。
**そして、**記号を、多用した**。
**——**当時としては、異例である**。
**〈同時代の代数書は、言葉で長々と説明する。〉**
**そのため、**「難解すぎる」**と評された**。
**——**そして、**それでも、長く読まれた**。
**ニュートンが、これで代数を学んだ**、とされる。〉
**記号**。
〈**掛け算の × ——**彼が導入した**。
**〈ライプニッツは、これを嫌った。「x(未知数)と紛らわしい」。**
**——**そして、その指摘は、正しい**。**だから、いま、·(中点)と併用される。〉**
**比を表す **::** ——**彼である**。
**そして、**sin と cos の略記**の、早い例も、彼にある**。〉)
**計算尺**。
**1622年頃、考案**。
(——**エドマンド・ガンターの、対数目盛の物差し**を、見た**。
**そして、**「二本、重ねればよい」**と気づいた**。
**——**直線のものと、**円形のもの**を、両方、作った**。
**そして、**すぐには、公表しなかった**。
〈**——**理由は、はっきりしない**。
**彼は、**自分の発見を、公にすることに、あまり熱心ではなかった**。〉)
**争い**。
**1630年**。
(——**弟子の**リチャード・デラメイン**が、**円形の計算尺についての小冊子を、出版した**。
**そして、**自分の発明だと述べた**。
**——**オートレッドは、**激怒した**。
**1632年、**自分の説明を出版し、**デラメインを、盗用者として非難した**。
**デラメインは、**独立に発明したと、反論した**。
〈**——**論争は、**数年、続いた**。
**そして、**極めて不愉快なものになった**。
**〈互いに、人格を攻撃する文章を書いた。〉**
**——**決着していない**。
**そして、**デラメインは、1645年頃、貧困のうちに死んだ**。〉
**——この件は、**オートレッドの評判に、影を落とした**。)
**性格**。
(**同時代の記述**(ジョン・オーブリー『名士小伝』)。
〈**「彼は、**小柄で、黒い髪と、黒い目をしていて、**そして、**心に、大きな輝きを持っていた**」**。
**「彼は、**しばしば、夜中に起きて、**着替えもせずに、**インク壺を持ってきて、書いた**」**。
**「妻は、**彼が夜、蝋燭を無駄にすることに、腹を立てていた**」**。
**——そして、**「彼は、**貧しい者に、無償で教えた**」**。〉
**そして——**彼は、**錬金術と占星術にも、深く関わっていた**。
〈**——**当時、それは、数学と、はっきり分かれていない**。〉)
**死**。
(**1660年6月30日**。**八十六歳**。
**——**王政復古の年である**。
**チャールズ2世が、その年の5月に、帰還した**。
〈**オーブリーが、こう書いている**(要旨)。
**「彼は、**王政復古の報せを聞いて、**喜びのあまり死んだ**」**。
**——**「一杯のシェリー酒を飲んで、そして死んだ」**とも**。
〈**——**この話は、**逸話である**。
**そして、**彼が王党派だったことは、確かである**。
**〈内乱の間、彼の教区は、危険だった。**
**——議会派が、彼を追放しようとしたが、弟子たちが守った、と伝えられる。〉**〉〉)
**残ったもの**。
(——**計算尺は、**三百五十年、使われた**。
**そして、**× の記号**は、**いまも、使われている**。
**そして——**彼の弟子たち**が、**イギリスの科学を、作った**。
〈**——**田舎の教区司祭が、自分の家で、無償で教えた**。
**それが、**王立協会の一部になった**。〉)