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Person / 人

オマル・ハイヤーム

Omar Khayyam
AD1048年5月18日 – AD1131年12月4日(享年83)
セルジューク朝重要度 5

概要

ニシャープール。「天幕作り」。三次方程式を円錐曲線で解いた。ユークリッドの平行線公準を疑った。ジャラーリー暦。『ルバイヤート』。「飲め、明日はない」。1859年、フィッツジェラルドの英訳で、ヴィクトリア朝の詩人になった。ペルシアでは数学者、イギリスでは詩人。

所属

セルジューク朝

関わったできごと(1)

ジャラーリー暦AD1079年 · 作った

本文

ギヤースッディーン・アブル・ファトフ・ウマル・イブン・イブラーヒーム・ハイヤーミー。ニシャープール。「ハイヤーム」は天幕作り。父の職業か。

サマルカンドで『代数学の問題の証明について』(1070年頃)。三次方程式を13種類に分け、それぞれを円錐曲線(円、放物線、双曲線)の交点で解いた。「正の実根」の幾何的な存在証明。代数の公式は450年後のイタリア。二項定理の係数の三角形(パスカルの三角形)も知っていた。

『ユークリッド原論の難点に関する注釈』(1077年)。平行線公準を他の公準から導こうとして、四角形(サッケーリの四角形、600年前)の上の2角が直角であることを証明しようとした。できなかった。非ユークリッド幾何の入り口に立って、入らなかった。

1074年、マリク・シャーがイスファハーンの天文台に呼んだ。ジャラーリー暦。天文表(ズィージ・マリクシャーヒー)。ニザームルムルクの庇護。1092年、ニザームルムルクが刺され、マリク・シャーが死んで、天文台は閉じた。ハイヤームはメッカ巡礼に行った。「不信仰」の疑いを消すため、と言われる。晩年はニシャープールで教えた。

『ルバイヤート』。四行詩。ペルシア語。酒、薔薇、無常、天の理不尽。「壺作りの店で、壺が言った。私も昔は人だった」。どれが本当にハイヤームの作かは分からない。最古の写本は死後200年。1859年、エドワード・フィッツジェラルドの英訳。「一巻の詩、一壺の酒、一片のパン、そして君」。ヴィクトリア朝の英国で流行し、世界へ広がった。イランでは長く数学者と天文学者で、詩人ハイヤームはヨーロッパから逆輸入された。

1131年、ニシャープールで死んだ。「私の墓は、春に北風が薔薇の花びらを撒く所」。庭園に墓がある。