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Person / 人

ジョン・ネイピア

John Napier
AD1550年 – AD1617年4月4日(享年67・推定)
スコットランド重要度 4

概要

エディンバラ近郊マーチストンの領主。神学の論争家として当時は知られ、『ヨハネ黙示録の明白な発見』で教皇を反キリストと論じた。農業の改良、そして戦争の機械(鏡で敵艦を焼く装置、装甲車)の構想も残した。20年かけて対数の表を作り、1614年に発表した。掛け算と割り算を足し算と引き算に変える。計算のための棒(ネイピアの骨)も考案した。魔術師と噂され、黒い雄鶏を連れ歩いたと伝わる。

関わったできごと(1)

ネイピアの対数AD1614年 · 作った

本文

1550年、スコットランド、エディンバラ近郊の**マーチストン城**。父アーチボルドは造幣局長を務めた地主。母ジャネットは貴族の家の出。

(父は結婚したとき16歳だった。)

13歳でセント・アンドルーズ大学に入学。在学は短く、卒業していない。その後、大陸で学んだと推測されるが、記録がない。

**領主として**。

マーチストンの第8代領主。彼の主な仕事は、領地の経営である。

彼は**農業の改良**に熱心だった。土壌に塩を撒いて肥やす方法を試し、1598年に特許を取った。排水のための揚水装置(アルキメデスの螺旋を使う)を考案した。

**軍事**。

1596年、彼はイングランドのアンソニー・ベーコンに宛てて、「近ごろの秘密の発明」の覚え書きを送った。スペインの侵攻に備えるためのものである。

その中身。

- 鏡を使って、遠くの敵艦を焼く装置(アルキメデスの伝説に倣ったもの)。 - 「砲弾のかわりに、水中で走り、水中を進む装置」(潜水艦の構想)。 - 「あらゆる方向に砲を撃ちながら進む、金属で覆われた戦車」(装甲車の構想)。 - 4マイル先の敵を一掃する大砲。

いずれも作られていない。彼は「これらの発明が悪用されぬよう」と書いている。

**神学**。

同時代の人々が彼を知っていたのは、これによってである。

1593年、『**ヨハネの黙示録の全き発見**』。黙示録を逐節的に解釈し、ローマ教皇が反キリストであると論じた。そして、世界の終わりを1688年から1700年の間と計算した。

(黙示録の数字を、周期の計算で解こうとするこの態度は、彼の数学と地続きである。)

この本は英語で書かれ(当時のスコットランドの学術書としては異例)、オランダ語、フランス語、ドイツ語に訳され、版を重ねた。彼自身は、これを生涯最大の業績と考えていた。

**魔術師の噂**。

彼は、黒い雄鶏を飼っていた。

伝わっている話。使用人の中に盗みを働いた者がいたとき、彼は全員に、暗い部屋で雄鶏の背を撫でてくるよう命じた。「この鶏は、犯人が触れたときに鳴く」。

実際には、雄鶏の背には**煤**が塗ってあった。潔白な者は堂々と撫でるので手が黒くなる。犯人は触れないので、手が汚れない。

出てきた全員の手を見て、彼は犯人を当てた。

この種の話がいくつも残り、彼は「マーチストンの魔術師」と呼ばれた。彼自身が、その評判を利用した節がある。

**対数**。

20年、彼はこの計算に費やした。

動機は、天文学と航海術の計算の負担である。三角関数の表を使う計算で、掛け算と割り算が延々と続く。

1614年、『**驚くべき対数の法則の記述**』(Descriptio)。

ラテン語。表と、その使い方の説明。**どうやって作ったかは書かなかった**。

彼は、まず世に受け入れられるかを確かめたかった。作り方は、死後の1619年、息子ロバートが『構成(Constructio)』として出版した。

**ネイピアの骨**。

1617年、『**ラブドロギア**』。彼が最後に出版した本。

数を刻んだ棒(象牙や骨で作ったので「ネイピアの骨」)を並べることで、掛け算と割り算を簡単にする道具。

対数より単純で、対数より広く使われた。ヨーロッパ中で作られ、日本にも伝わった(「ナピール算籌」として、和算家が使った)。

**ブリッグズとの出会い**。

1615年と1616年の夏、ロンドンのヘンリー・ブリッグズが、エディンバラを訪ねた。

ブリッグズの助手が伝えた話。約束の日にブリッグズが来ず、ネイピアは「彼は来ないだろう」と言った。そこへ、扉が叩かれた。

「二人は、ほぼ四分の一時間、互いに感嘆して見つめ合い、一言も発しなかった」。

そしてブリッグズが口を開いた。「わが君、私はこの長い旅をしてまいりました。それは、あなたがどのような知恵と工夫によって、天文学のこの上なく優れた助けをお考えになったのか、その人物を拝見するためです。……なぜ、誰も、これほど容易で明白なことを、これまで思いつかなかったのでしょう」。

**1617年4月4日**、痛風のため、マーチストン城で死んだ。67歳。

**その後**。

- ブリッグズが常用対数表を完成させた。 - ケプラーが『ルドルフ表』(1627年)を対数で計算し、ネイピアに献辞を捧げた。 - **e**(自然対数の底、2.71828…)は、ネイピアの定義の中に暗黙に含まれている。オイラーが後に記号を与えた。ネイピア自身は、この数を明示していない。

エディンバラのネイピア大学(1964年設立)は、彼の名を冠している。マーチストン城は、その大学のキャンパスの一部として、いまも建っている。

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