概要
職人の出で、儒家に学んでから離れた。すべての人を等しく愛し、攻める戦争を否定し、音楽と葬式の浪費を責めた。弟子は規律の固い集団で、城を守る技術で食べた。戦国の間は儒家と並ぶ勢いで、秦のあと消えた。
関わったできごと(1)
墨子の兼愛と非攻BC430年頃 · 思想家本文
名は翟。魯の人とも宋の人とも言う。 生まれた年も死んだ年も分からない。孔子の死のあと、孟子の前。
手に職を持っていた。 木の鳶を作って三日飛ばした、という話が『韓非子』にある。 公輸盤(魯班)と技術を競った話は『墨子』にある。 儒家に学び、その礼と喪と音楽が民の生活を潰すと考えて離れた。
兼愛。 親を殺すのは不義、他人を殺すのも不義なら、区別する理由はない。 非攻。 人を一人殺せば死罪。十人殺せば十の罪。 なのに国を攻めて万人を殺すと、義と呼んで記録する。 黒を少し見て黒と言い、多く見て白と言うようなものだ。 天志。 天は人を等しく愛するから、人も等しく愛せ。 明鬼。鬼神はいる。いなければ悪人は罰を恐れない。 節用、節葬、非楽、非命。
弟子は鉅子を頭とする集団で、 「墨者は皆、火に赴き刃を踏んで、死んでも引き返さない」と『淮南子』は書く。 城を守る技術を持ち、『墨子』の後半は守城の工学の本になっている。
戦国の間、儒と並ぶ二大学派だった。 漢の武帝が儒を国教にすると、消えた。 二千年、誰も読まなかった。 清末に孫詒譲が注をつけ、 梁啓超がキリスト教の博愛と比べ、 1949年以後は「労働者階級の思想家」として読まれた。