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Person / 人

ピエール・メシャン

Pierre Méchain
AD1744年8月16日 – AD1804年9月20日(享年60)
フランス重要度 3

概要

ラン生まれ。建築家の子で、家が傾き、測量と天文の助手になった。彗星を十三個見つけている。メートルを定めるための子午線測量では、南半分のロデーからバルセロナを受け持った。革命下、スパイと疑われて捕らえられ、事故で重傷を負い、戦争で帰国できずに三年足止めされた。バルセロナで測った緯度が二組の値で食い違うことに気づき、それを公表しないまま生涯苦にした。1803年、測量をやり直すために出発し、翌年スペインで黄熱病により死んだ。

関わったできごと(1)

メートル法の制定AD1795年4月7日 · 測量

本文

**ピエール=フランソワ=アンドレ・メシャン**(1744〜1804年)。

**ラン**(フランス北部)の生まれ。

(**父は、天井の漆喰の職人**(あるいは建築の請負)である。

**息子を、学校にやった**。

——**そして、家が傾いた**。

**学業を、続けられなくなった**。)

**天文学へ**。

(——**独学で、数学と天文学を学んだ**。

**ジェローム・ラランド**(当時のフランス天文学の中心人物)に、自分の計算を見せた。

**ラランドが、彼に、仕事を与えた**。

〈**海図局の、測量の助手**。**そして、写字の仕事**。〉)

**彗星**。

**十三個、発見した**。

(——**当時、彗星の発見は、天文学者の名を上げる、最も分かりやすい方法だった**。

**シャルル・メシエ**——「彗星の狩人」——と、競い、そして協力した。

〈**メシエのカタログ**(M天体)に、**メシャンが見つけた天体が、いくつも入っている**。

**M63、M77、M94、M97、M101、M103**、など。

——**「彗星と紛らわしいが、彗星ではないもの」の一覧**である。

**その多くが、実は、銀河や星団だった**。〉)

**1782年、科学アカデミーの会員**になった。

**1785年から、『Connaissance des Temps』**(天体暦)の編集を任された。

**測量**。

**1791年、メートルを定めるための子午線測量が、決まった**。

**二人に、分けられた**。

**ドランブル——北**(パリ〜ダンケルク、約340キロ)。

**メシャン——南**(ロデー〜バルセロナ、約440キロ)。

(——**南のほうが、短い**。

**しかし、山が多く、そして、外国(スペイン)に入る**。

〈**当初、南の担当はカッシーニ4世だった**。**彼が辞退した**。

**——王党派である。革命の事業に関わることを、拒んだ。**〉)

**1792年6月28日**、パリを発った。

**苦難**。

**(1)疑われた**。

(**教会の塔に登る**。**旗を立てる**。**鏡で、光の合図を送る**。

——**革命下の田舎で、これは、極めて怪しい**。

**何度も、群衆に取り囲まれた**。)

**(2)事故**。

**1792年、バルセロナ近郊**。

(**水を汲み上げる機械の、梃子が跳ねた**。

**鎖骨、肋骨を折り、頭を打った**。

——**数か月、寝込んだ**。

**そして、右腕が、完全には戻らなかった**。)

**(3)戦争**。

**1793年3月、フランスとスペインが、戦争になった**。

(——**彼は、敵国人になった**。

**バルセロナから、出られなくなった**。

**器材が、押収されかけた**。

〈**スペインの天文学者たちが、彼をかばった**。〉

**イタリア経由で、戻れたのは、1795年である**。)

**(4)資金**。

(**恐怖政治のさなか、1793年12月、彼とドランブルは、委員会から除名された**。

**「共和国の徳と憎悪への献身を欠く」**という理由である。

——**測量は、続いた**。

**そして、送金が、途絶えた**。)

**緯度**。

**バルセロナで、彼は、二か所で、緯度を測った**。

**モンジュイックの城塞**と、**フォンターナ・デ・オロ**(滞在した宿)。

**二つの値が、合わなかった**。

(——**差は、約3秒角**。

**距離にして、約100メートル**。

**当時の測定の精度からすれば、大きい**。

——**彼は、その事実を、公表しなかった**。

**報告書には、都合のよいほうの値だけを載せた**。

〈**そして、生涯、それを苦にした**。

**手紙に、繰り返し書いている**。

**「この呪われた緯度が、わたしを追う」**。

**「わたしは、自分の仕事のすべてが、この一点で汚されていると思う」**。

——**彼は、自分の腕を疑った**。

**そして、それを、誰にも言えなかった**。〉)

(**原因は、後に、彼の責任ではないと分かった**。

**大気の屈折**、そして**鉛直線の偏差**——**モンジュイックの山塊そのものの重力が、鉛直の基準を、わずかに引く**。

〈**測地学では、当たり前の現象である**。**当時は、まだ十分に理解されていなかった**。〉

**彼は、それを知らずに死んだ**。)

**やり直し**。

**1799年、測量が完了し、原器が作られた**。

**メシャンは、名誉を受けた**。**1800年、パリ天文台の台長**になった。

**それでも、彼は、納得しなかった**。

**1803年**、**測量を、スペインの南(バレアレス諸島まで)へ延長するために、再び出発した**。

(——**表向きの理由は、子午線弧を延ばすこと**。

**本当の理由は、自分の測定を、確かめ直すことだった**、と考えられている。)

**1804年9月20日**、**スペイン、カステリョン・デ・ラ・プラナ**。

**黄熱病により、死んだ**。**60歳**。

(——**測量の途中である**。)

**その後**。

**ドランブルが、彼の記録を、整理した**。

**そして、あの食い違いを、見つけた**。

(**ドランブルは、それを、公表しなかった**。

**——記録を封筒に入れ、封をして、天文台に残した**。

〈**「後世の判断に委ねる」**という趣旨の言葉を添えて。〉

**それが、開かれたのは、1世紀以上、後である**。

——**ケン・オールダーの『万物の尺度』**(2002年)が、この経緯を詳しく追った。)

**そして**。

**メートルの値には、彼の誤差が、いまも入っている**。

(——**約0.2ミリ**。

**そのうちのいくらかは、地球の形の見積もりの誤りである**。

**そして、いくらかは、バルセロナの、あの緯度である**。

**——訂正されなかった**。

**基準は、正確であることより、動かないことのほうが、大事だからである**。)

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